懐かしい昭和のテレビCM(院長)

師走になると一年を振り返ると同時に、昔のことを思い出します。私が子供の頃の娯楽は、テレビ、漫画、映画が主体でした。特に大みそかの夜は家族で炬燵を囲んで、一台のテレビを見ることが恒例でした。今回は印象の深かったテレビCMから、昭和の時代を振り返りたいと思います。昭和年代の方は懐かしく、平成生まれの方は昔話としてお読み下さい。

Ⅰ.懐かしいテレビCM

私の感じた印象(カテゴリー)ごとに挙げてみます。( )内は主な出演者です。

1)日本の発展を信じて、みんな一生懸命働いていました。

・「亭主元気で留守がいい」1986(昭和61)タンスにゴン(大日本除虫菊株式会社)

“夫は元気に外で働いてお金を入れ、家を空けている方が妻には都合がよい”とのことです。当時は専業主婦が多かった時代です。

・「24時間戦えますか?」1989(昭和64・平成元年)リゲイン・三共(時任三郎)

バブル全盛期のCMで、当時はブラック企業という言葉はあまり聞きませんでした。      

2)自分の将来と生活の向上に夢を抱いていました。

・「いつかはクラウン」 1983年(昭和58年) トヨタ自動車

“頑張って出世したら、いつかは最高級車クラウンを買うぞ”という夢です。

3)子供達は今よりも元気でのびのびしていました。

・「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」1970年(昭和45年)丸大食品

登山に訪れた親子が、ナイフで厚切りにしたハムをたき火にかけるというものです。

・「ピッカピカの一年生♪」1978(昭和53年)小学館

ランドセルを背負った新一年生が嬉しそうにスキップで通学していました。

4)何事にも寛容な緩い時代でした。

・「いまのキミはピカピカに光って」1980(昭和55年)ミノルタ

木陰でTシャツとGパンをはにかみながら脱いで水着姿になるという内容で、素朴でスリムでない宮崎美子さんがとても新鮮でした。(曲:斎藤哲夫)

・「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに」

1980年(昭和55年)フジカラー  樹木希林さんのコミカルなCMです。

・「私はこれ(女性)で会社を辞めました」1984年(昭和59年)禁煙パイポ

昭和の時代の自由さ、笑って済ませられる緩さを感じるブラックジョークです。

・「恋は、遠い日の花火ではない」1994(平成6年)~ サントリーオールド

自分がいわゆる中年オヤジになるにつれて心に染みるようになりました。(長塚京三、田中裕子)

5)普段は電話や手紙が中心で頻繁には連絡できませんでした。

・「クリスマス・エクスプレス」 JR東海 1989年(昭和64・平成元年)

遠距離恋愛のカップルが新幹線でクリスマスに再会を果たすストーリーです。   山下達郎氏の歌「クリスマス・イブ」は今でも冬の定番です。(牧瀬里穂)

6)旅の心は今も同じです。

・「金鳥の夏、日本の夏」1967(昭和42年)~ 金鳥(大日本除虫菊株式会社)

仕掛け花火の画像が懐かしく、蚊取り線香の香りを思い出します。

・「ディスカバージャパン」1970(昭和45) 国鉄 

“知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい”(歌:ジェリー藤尾)

・「いい日旅立ち」 1978(昭和53) 国鉄

“あゝ 日本のどこかに 私を待ってる人がいる”(歌:山口百恵)

Ⅱ.昭和を代表する3人の言葉

・「昭和編・サントリーボス」2016(平成28年) サントリー

大物ハリウッド俳優トミー・リー・ジョーンズさんが地球探索の宇宙人に扮するおなじみのCMです。昭和の3人はともに2016年5~7月の間に逝去されており、まさに“昭和が終わった”ことを強く感じました。自分の生き方を大切にする3人の言葉は印象深いです。

永六輔氏:「世の中変わっていくけども、絶対変えてはいけないものは変えない」

蜷川幸雄氏:「やりたい事をちゃんと自己主張しなさいと」

大橋巨泉氏:「人間生き方だけは、自分のチョイスでいきたいんだよね」

バックで流れる楽曲「夢であいましょう」「上を向いて歩こう」も昭和そのものです。

Ⅲ.テレビCMから感じる『昭和』

・戦後の混乱が一段落して、好景気の影響により家電製品がブームとなったそうです。ただ、欲しいものはたくさんあったけれど、まだまだ手が出ない時代でした。旅行は国内が中心で、海外旅行は高嶺の花でした。当時のクイズ番組で「10問正解して夢のハワイに行きましょう」というフレーズがありました。円が変動相場制に移行したのは1971(昭和46年)で、それまでは固定相場制(1ドル360円)でした。

・社会では年功序列制度が主流でしたが、“家族と自分の将来のために頑張るぞ~!”と一生懸命働いていました。みんなが前を向いて暮らしていた時代だと思います。

・“わんぱく”という言葉があり、“子供はともかく元気なほうが良い”と考えられていました。大人の世界でも許容範囲が広く、よく言えば何事にも寛容な、笑って済ませられる緩い時代だったと思います。当時はパワハラ、セクハラという言葉は一般的ではありませんでした。

・家庭には、給料を手渡す頼もしいお父さんと家を守る優しいお母さんがいました。

 おわりに

・昭和30年代を舞台とした漫画に“三丁目の夕日”(作・西岸良平氏)があります。昭和の時代で普通にみられた心和むエピソードや胸締め付けられるせつない話などが一話ごとにつづられています。映画“Always三丁目の夕日”は私の大好きな作品です。漫画の連載開始は昭和49年で、私の家の本棚には単行本が並んでいます。

・近年、昭和レトロブームと言われています。テーマパークには昭和(主に30年代)の街並みが再現され、巣鴨の街を平成生まれの人たちが訪れています。昭和のCMを振り返ってみると、「夢」「温かさ」「緩さ」を感じます。時代遅れかもしれませんが、良いものは残していきたいと感じています。

 

2023年12月24日

石川 進