監督の財産―栗山英樹氏著 (院長)
大リーグワールドシリーズも終わりましたが、大谷翔平選手の話題はまだ続いています。大谷選手の経歴を振り返るとき、必ず名前が出るのは二刀流の生みの親栗山英樹氏です。今回、栗山氏の新刊を読んでみました。
1)監督の役割
監督の役割とは、「与えられた状況の中で、チームが勝ち切るための方法を見つけ出す」、つまり戦力を見極めて「勝つカタチ」を見つけることです。日々の試合の中では、「こうなったらいいな」ではなく、「絶対にこうなる」という信念で前に進んだときに「知恵」が生まれると述べています。また、「選手を輝かせる」ことが仕事で、各々の選手が特徴を生かして「〇〇らしく」活躍できるよう努めてきたようです。
2)コーチ・スタッフへの感謝
栗山氏の12年間の監督生活では数度の優勝経験があります。うまく行った時も多数ありますが、コーチや球団スタッフの助言のおかげだと記載しています。栗山氏の現役生活は7年間で、その後20年を超える野球解説者生活からコーチ経験なしで、2011年に北海道日本ハムファイターズの監督になりました。ジャーナリスト時代には、「人の話を聞く」「自分の存在は消して、空気になる」ことを取材の心得としていたそうです。周囲の人々の言葉に耳を傾ける習慣があり、自分の経験や理論と照らし合わせて判断していったものと考えられます。また、球団や北海道の人々への感謝も述べています。
3)負けた時に学ぶこと
本書の中には、負けた試合やうまく行かなかった時のことが多数記載されています。「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」との言葉があります。野球評論家野村克也氏(2020年没)の座右の銘ですが、出典は第9代肥前国平戸藩主松浦静山氏の剣術書「剣談」とされています。負けた時の方が学ぶことが多く、大切なのはその原因を客観的に分析し、反省を次に生かすことだと考えられます。栗山氏は、監督の役目とは「責任をとることではなく、責任を果たすこと」だと述べています。
4)人は変われる:ダルビッシュ有投手
ダルビッシュ有投手は高校時代から注目され、日本ハムファーターズで活躍後にメジャーリーグにわたり、現在はサンディエゴパドレスに所属しています。彼は「野球博士」といわれる程の広範な知識を有し、2023年のワールドベースボールクラッシック(WBC)では、チームのまとめ役、後輩たちの指導役となっていました。しかし、彼の若い頃はいわゆる「やんちゃな」の印象が強くあります。おそらく彼は渡米後の努力で「変わった、成長した」のだと栗山氏は述べています。パドレスが36歳のダルビッシュに6年(42歳まで)の長期契約をしたのは、彼の人間性も認めてのことだと推測しています。
5)大谷翔平選手の話
高校時代からの夢であったワールドシリーズ優勝を今年実現させました。栗山氏によれば彼はいわゆる「本物」であり、ずっと「翔平らしさ」を貫いているのだそうです。多くの同僚選手は大谷選手とは自分にはない「才能」の持ち主で、少ない練習量で規格外の成績を残す「憧れ」の存在と考えているようです。しかし、栗山氏によれば、単に彼が練習を人の見ているところでやらないだけのことだそうです。WBCの決勝前に彼が「憧れるのをやめましょう。憧れてしまったら越えられないから」と言ったのは、いつも一番を目指している彼自身の考え方なのだと思います。
おわりに
・本書は845ページ、厚さ4.5cmの辞書のような本です。読めるか不安でしたが、文章は読みやすかったので何とかなりました。大谷翔平選手の師である栗山氏の考え方に興味があった私には好都合でした。このブログでは、ほんの一部のみをご紹介しました。
・栗山氏の座右の銘は「夢は正夢」だそうです。選手には「それぞれの夢に向かって、家族や自分の大切な人のために戦ってほしい。それが自然とチームのためになる」と話しています。私達もみんなで「それぞれの夢」をかなえましょう。
*栗山英樹氏略歴
1961年生まれ、東京都出身。教師を目指して東京学芸大学を卒業したが、1984年ドラフト外(テスト生)でヤクルトスワローズに入団。1989年にはゴールデングラブ賞を獲得したが、けがや病気があり29歳で引退。その後、野球解説者・ジャーナリストとして活動。2011年北海道日本ハムファイターズ監督に就任。2023年3月監督としてWBC制覇。
2024年11月17日
石川 進
付 録
2012年日本ハムファイターズ入団会見
大谷翔平選手と栗山英樹監督
2024年LAドジャース大谷選手とデコピン