まもなく日本でも新型コロナのワクチン接種が始まります。
世界で最初に開発され実用に供されたのがファイザー社のワクチンです。
このワクチンは従来の生ワクチンや不活化ワクチンあるいはトキソイドワクチンと異なり、ごく一部のタンパク情報を担うmRNAを使用しているのが特徴です。mRNAが投与されると人間の細胞はmRNAの情報に基づくタンパクを作成するようになります。新型コロナワクチンでは、新型コロナウイルスの突起(スパイクと呼ばれる)を構成するタンパクが作成されます。新型コロナの突起タンパクは人間にとっては異物であるため突起タンパクに対する抗体の産生やT細胞の応答を促すようになります。こうした免疫反応によって新型コロナウイルスの感染能力を低下させるという仕組みです。ファイザー社の新型コロナワクチンの効果は臨床治験では94%の有効率を示しました(ワクチン非投与群が100人感染したのに対しワクチン投与群では6人しか感染しなかった)。ファイザー社の次に開発されたモデルナ社のワクチンもmRNAです。mRNAは壊れやすいため体に取り込ませるにあたって多くのノウハウが必要となります。
当院でも新型コロナワクチンの接種が始まるはずです。このワクチンの仕組みを医師として知っておく必要があります。年末年始はmRNAワクチンの勉強に当てました。
にわか勉強ではありますが、上記のようにまとめてみました。
勉強の過程でファイザー社のワクチンを最初に作ったのがビオンテック(バイオンテック)というドイツのベンチャー企業だと知りました。その創始者は研究者であり医師でもあるウール・シャヒン氏とエズレム・テュレジ氏の夫妻。2人ともトルコ系ということに興味を覚えました。
内外の情報を集めてみました。経歴など細かな情報は主にドイツのSpiegel誌2021/1/2号から得ました(図はその表紙。タイトル:ビオンテックの救世主「ドイツはワクチンを十分に入手できるだろう」)。
夫のシャヒン氏はトルコ生まれ、4歳のときに母親と共に西ドイツに移住してきました。当時、父親は西ドイツ・ケルンに居住し自動車工場で働いていました。シャヒン氏はケルンのギムナジウム(中高一貫のエリート校)を首席で卒業し、ケルン大学医学部に進学して医師となり、ザールラント大学病院に異動しました。
2歳下の妻のテュレジ氏は西ドイツで生まれました。父親はトルコ・イスタンブール出身の外科医で西ドイツに移住後、北方のニーダーザクセン州のカトリック系病院に勤めていました。テュレジ氏はギムナジウム卒業後ザールラント大学医学部に進学して医師となりました。医学部最終学年のときにシャヒン氏と知り合ったとのことです。
2人はザールラント大学でそれぞれ腫瘍免疫療法と遺伝子多型の研究で学位を取得したのち、1990年代半ばにドイツ中部のマインツに移りました。マインツ大学で腫瘍学の研究指導を受け、2001年に上部消化管がんの新規治療薬開発のためのガニメド社を設立、2002年に結婚、2008年ビオンテック社を設立しました。なお、ガニメド社は2016年日本のアステラス製薬が約5億ユーロ(+成功報酬)で買収しました。夫妻の開発薬(抗 CLDN18.2抗体薬)を使って現在アステラス製薬による胃がんの治験が進行中です。
夫妻が一貫して目指してきたのはがんの免疫療法でした。上記の抗体薬もその1つです。しかし、がん患者への恩恵は依然として少ないままでした。成績不良の理由は、がんの遺伝子変異が常に起こっているからではないか、こうした変異に速やかに対応するにはmRNAを用いた免疫療法が望ましい、と考えるようになり、ビオンテック社はmRNAによるがんワクチンの研究を始めていました。
夫のシャヒン氏は2020年1月中旬、新型コロナのニュースを聞き、世界的大流行を予想したそうです。新型コロナの遺伝子情報が中国から発表されると直ちにmRNAワクチン作成のアイデアが浮かび、2週間後には20種類(一部情報では10種類)のワクチン候補薬をコンピュータ上で設計したとのことです。以後、ビオンテック社の研究者を総動員して実用化を目指しました。
実用化に貢献した人物として、①2007年、夫妻の研究に賛同し巨額の投資をしてくれたストリュングマン兄弟、②1990年代半ば、研究指導をしてくれたマインツ大学腫瘍学フーバー教授、③2020年3月、夫妻の研究を全面的に支援し新型コロナワクチンの世界供給体制を約束してくれたファイザー社のブーラCEO(最高経営責任者)を挙げています。ブーラCEOはギリシャ出身です。トルコとギリシャの国同士は外交では緊張関係にあっても個人同士は強い信頼関係があると言われています。
私が当初興味を持ったトルコ系移民についての感想を夫妻はほとんど語っていません。人類に役立つ医学研究や医療であれば国籍や移民は関係ない、という立場です。
私が西ドイツに留学していた1986-1987年(2019/6/20ブログ)、トルコからのガストアルバイター(ゲストワーカー [移民労働者])が大勢働いていました。研究室やアパートの掃除はトルコ人女性、工事現場の下働きはトルコ人男性が多くを担っていました。建物の壁に「テュルケン・ラウス(トルコ人出て行け)!」の落書きを目にすることもありました。
当時、夫妻は20歳前後だったはず。私の目からするとトルコ人に対するドイツ社会の偏見はかなりのものでした。ドイツ人の中でさえギムナジウムや大学への進学には親の身分や職業が関係していました。トルコ人ならなおさらだったと思います。結局、優秀な人材は、移民であろうがなかろうが関係ない教育環境が当時の西ドイツ、その後のドイツにはあったのだろうと思います。
一方で、夫妻はドイツの大学教育に注文をつけています。
それは、研究が実用化されないことへの不満です。研究のための研究に陥り、臨床応用されたのは1つもないとまで言い切っています。
アメリカでは研究成果をすぐ起業に結びつけるのにドイツではそれがない。自分たちは純粋のドイツ人ではなかったおかげで、研究者なのに起業家になれた、ということのようです。現在、夫妻はマインツ大学で教育にも当たっています。研究成果を臨床に役立てられる人材を育成し、事実、多くの優秀な研究者かつ起業家を輩出しているとのことでした。日本にとっても参考になる話です。
最後に、夫妻の言葉を紹介します。
1)(夫)20年間の免疫工学の経験から我々のワクチンは理論的には完璧だという自信があった。ただし実際に効くかは分からなかった。
2)(妻)ワクチンの貯蔵・運搬はマイナス70度の超低温で今は行われているが、今年夏の終わり頃にはもう少し高温でも大丈夫な改良ワクチンができるはずだ。
3)(夫)イギリスなどで発生している新型コロナウイルス変異種に対しても我々のワクチンの有効性は変わらない。万が一、変異によりワクチンの有効性が低下した場合、直ちに新しいワクチンを作る用意がある。季節性インフルエンザワクチンと同じように当局が臨床試験をいちいち要求しなければ、新しいワクチンをすぐに提供できる。
4)(妻)私たちは当初から生産と運搬のシステム強化に乗り出していた。生産にはヨーロッパの5つの企業と契約している。別の企業とも交渉を進めている。
5)(夫)ワクチン不足に対処するためアスピリンの製造工場を新型ワクチンの工場に変えたらよいという政治家がいるが、長年の経験と技術がなければワクチンは製造できない。
6)(夫)開発途上国を含めできるだけ多くの国の高齢者や医療従事者にワクチンを届けたい。少なくともドイツでは数ヶ月以内に届く。
7)(妻)研究者が発注・生産・貯蔵・運搬にまで関わるのは大変だけど患者に科学のイノベーションを届けられると思えばよい。未知の問題は新たに解決すればよい。
8)(妻)研究は午後5時で終わることはない。1日関わっている。ヨーロッパがん免疫療法学会の理事長も務めていて忙しい。しかしバカンスはしっかりとっている。ご心配なく。
9)(夫)株価が上がって長者番付に載ったが意味はない。株価が暴落して資産価値が下がっても気にしない。
10)(妻)私たちの本来の研究であるがん免疫療法はおそらく2023年頃に提供できるだろう。