私の患者さんに河口雅弘氏という進行膵がんサバイバーがおられます。5年生存率の期待値は僅かという厳しい現実に向き合いながら、大晦日の腸捻転の緊急手術も乗り越えながら、この夏、無再発の10年生存を果たしました。河口氏のすごいところは、患者自らががん体験を語るNPO法人「がん体験談スピーカ-バンク」を立ち上げたことです。がん体験の仲間を集め、一般の人へのがん検診の啓発、学校でのがん教育に奔走しています。自分のがん体験をただ語るだけではダメだ、何をどう科学的に伝えるか、医療者とは異なる患者の視点でどう語るか、スピーカーバンク会員の個人的な語りのバラツキをどう抑えるか。様々な試行錯誤を繰り返し、大きな組織を作っていきました。さらに患者の視点で茨城県の総合がん対策推進計画の策定にも関わりました。

最近、河口氏から1つの論文を手渡されました。
「茨城大学の聴講生として法学ゼミの卒業論文集に寄稿したので読んでください。」
大学のゼミを聴講していたことなど全く知りませんでした。

論文名は「『参療権』に関する考察」。2015年12月に制定された「茨城県がん検診を推進し、がんと向き合うための県民参療条例」に謳われた「参療」について権利と義務の観点から考察したものでした(河口氏の許可を得て一部を転載します)。

参療とは、茨城県の条例の文言から引用すると「がんに関する正しい知識を習得し、自身に提供されるがん医療を決定できることについて自覚をもって、がん医療に主体的に参加」することです。河口氏は「がん患者が治療方法を公権力や他者から干渉されることなく、自ら自由に決定できる自己決定権は、日本国憲法第13条で保障されている『生命・自由および幸福追求権』の一部と考えられる」と考察し、「『参療権』は改めて基本的人権として明示的に憲法に規定するまでもなく憲法第13条に規定された幸福追求権の一部である自己決定権として位置づけられ規範性を有すると解するのが相当であろう」としています。また、「参療権」と比べられる「参政権」(憲法第15条)について権利と義務との関連を考察し、「純粋な人権であるとする権利説」と「国民の義務を果たしているとする権利・公務二元説」の2説があることを紹介しています。どちらの説をとるにしても、参療は個人への「努力義務」であって罰則が与えられるような性質のものではないと断じています。一方、県民参療条例の第3条「県の責務」、第4条「市町村の役割」、第6条「保健医療関係者の役割」、第8条「教育関係者の役割」の規定は、日本国憲法第25条の国民の「生存権」の解釈(立法者が当該生存権を具体化するための立法を制定しない場合は立法不作為の違憲確認訴訟が可能とする説)を援用して、「単なる努力義務ではなく、参療権の行使が行い得る環境の整備等必要な施策の策定及び実施・支援等を行わなければならないと考えられる」としています。
河口氏は最後に、参療条例を「理念としての先進性については、高く評価するものであるが、実態がそれに適合したものとなるか否かが問題」と述べています。国民のみならず、医療関係者、教育関係者、行政、立法の全てが関わって参療を現実のものとしなければならないというメッセージだと思われます。

日々の診療のなかで感じるのは、医療は上から目線ではなく、ともに考える視点が重要だということです。医療者の中に異論はあるかもしれませんが、私は「ともに考える視点」を最重視しています。