「誰がために医師はいる - クスリとヒトの現代論」(1)

先日、新聞の書評で「誰がために医師はいる - クスリとヒトの現代論」(松本俊彦著、みすず書房、2021)が紹介されていました。著者の松本氏は薬物依存の臨床に長年関わってきた精神科医。書評によれば依存症への新しい提言とのこと。すぐに購入し、すぐ読みました。
依存症の問題に関心がありました。悩まされてきたと言ってもよいと思います。松本氏の本を紹介する前に、自分の体験を述べたいと思います。

外科でみてきた精神科疾患は、うつ、統合失調症、摂食障害、アルコール依存症が主でした。膵外科を専門領域に選んだあとはアルコール依存症に出会う機会が増えました。依存症の治療は自分の手にとても負えず、精神科クリニックや大病院の精神科にお願いしてきました。しかし、根本的な解決に至ったという成功体験がほとんどありません。精神科医には失礼と思いましたが、依存症の治療を精神科にお願いしてもムダ、と考えるようになりました。

精神科医は患者が来れば一応診てくれます。ところが、依存症の患者は受診しなくなります。精神科受診を拒否した患者の半分は私の外来にも来なくなります。残りの半数は精神科に行かなくても私の外来には通ってきました。残念ながら、いくら私が指導しても依存症は改まりません。命を削るよと脅しても、効果はありませんでした。家族に「酒は絶対買ってあげてはいけません」と警告しても、本人がどこかで必ず手に入れてきます。家族がいつの間にか逃げ出したこともありました。そのうち、強制入院となった、事故で亡くなったという知らせが届きます。せっかくの膵臓の手術は何だったのか。悩みは尽きませんでした。

依存症はアルコール以外にも覚醒剤によるものがあります。大病院に勤めていたときは覚醒剤の患者が救急に運ばれることがときどきありました。私自身は診療に直接関わりません。報告を受けるだけでした。
覚醒剤依存症と私との関わりは、刑務所の視察委員会委員を務めていたときです。私は医師会から推薦されて委員を務めました。
視察委員会は、刑務所が被収容者の権利に配慮して適切に運営しているかを定期的にチェックします。被収容者の投書を刑務所の干渉なしに読み、必要なら当局に改善を申し入れるのも任務でした。「臭い飯」を定期的に試食していました。食事については苦情の投書が多くありますが、医師の立場では問題ないと考えました。
刑務所には覚醒剤犯罪の人が多くいました。あるとき「薬物依存離脱指導」という公開授業が刑務所内で開かれました。
授業の視察に招かれたのは刑務所視察委員(私ともう1人)の他に、地方裁判所、家庭裁判所、地方検察庁、弁護士、警察本部、精神保健福祉センター、ダルク(民間の薬物依存回復支援施設)などの関係者でした。授業は教育専門官が担当していました。

このときの受講者は11名。全員、覚醒剤犯罪で収容されていました。ほとんどが累犯者。中には8回目もいました。授業は教官が受講者に質問し答えさせるグループワークの形でした。教官は薬物からの脱却策として、仲間から離れる、地元を出る、仕事に打ち込む、家族を大事にする、薬物の害を勉強する、自助グループに参加する、を挙げていました。こうしたグループワークを定期的に開き(3ヵ月間に12回、1回90分)、出所の時期が近づくとダルクの関係者による授業も受けさせるとのことでした。気になったのは、受講すると仮釈放の対象になるということ。仮釈放の対象となることが受講の目的になっていないか、心配になりました。8回の累犯者もいるのですから。
授業終了後、関係者による意見交換会がありました。私は、こうした指導に再乱用抑制のエビデンスがあるのかを尋ねました。刑務所のアドバイザーを務める犯罪学専門の大学教授から、「エビデンスはある」との回答をいただきました。それにしても、累犯が余りに多いのが気になりました。

前置きが長くなりました。
私の悩みと疑問に対し、「誰がために医師はいる - クスリとヒトの現代論」の著者 松本俊彦氏はどう答えているでしょうか。次回、御紹介します。