昨日、茨城県の県立病院で外来診療を終えたあと、隣接する県立看護専門学校に移動して90分間の特別授業を行ってきました。
2年課程と3年課程の卒業生70名に講話をして欲しいと教員から頼まれたからです。タイトルは「これからの看護師に求められること」。私は看護師のあるべき姿を研究してきたわけではありませんし、本格的に論考したわけでもありません。医師としての個人的な体験を伝えようと考え、「ある医療者の思い」という副題を付けました。
2007年、県立病院の院長として赴任する直前、隣の看護学校の存在に気づき、突然、学校長兼務を願い出ました。これは当時の事務方にとって異例であったようです。知事の許可が下りるまで1ヶ月を要しました。理由はあとから分かりました。看護学校は知事部局、病院は病院局に属し、同じ県庁でも厳格な縦割りがあったからです。
なぜ学校長兼務を願い出たか、という話題から入り、看護師の業務とは何かについて私見を述べていきました。昭和23年(私の生まれた年)に成立した法律では、看護師の業務は「療養上の世話又は診療の補助」と規定されています。幾度かの法改正があっても看護師の業務規定は変わっていません。
しかし、時代は変わりました。医療を取り巻く環境も変わりました。もはや診療の補助ではないはずです。法律のほうが遅れているのだと言いました。無視し難い規定の中で看護師はどう主体的な関わりをもつべきか。私の考えを披露しました。
看護師の特定行為についても述べました。医師からのタスクシフトとして注目されていますが、看護師独自の視点がないと医師の隷属に陥ることになると指摘しました。また、特定機能病院という最高の医療を行うエリート病院での看護師の問題にも触れました。何事も基本が大切だということを強調したつもりです。
現在勤めているさいたま記念病院の看護師の状況についても話しました。エリート病院ではないかもしれませんが、看護師から日々受ける刺激の数々を紹介しました。コミュニケーションの良さも自慢しました。
最後に、卒業生へのメッセージとしてリジー・ベラスケスさんのスピーチ*を見てもらいました。半年間にわたる総合医療論の最後の授業でいつも流していたものです。早老症のために世界一醜い女と言われながらも、ネガティブ思考に陥ることなく前向きに生き続けるリジーの声は、看護の現場での試練を乗り切るのに必ず役立つと考えるからです。私自身、この10数分のビデオを視聴することで毎年勇気をもらっていました。
*https://www.ted.com/talks/lizzie_velasquez_how_do_you_define_yourself?language=ja
看護学生への授業は自分にとって勉強になり、また楽しいものでした。そのことを伝えるために、卒業直前の学生たちと一緒に笑顔で撮った3年前の集合記念写真を見せて講話を終えました。
一息ついてPCを片付けていると、最前列にいた2年課程の学生が私に近づいてきました。「最後のスライドに娘が写っていた」というのです。
驚きました。
「ということは、3年前に娘さんはこの学校を卒業して看護師となり、翌年、准看護師だったお母さんが2年課程に入学して今回卒業なのですね」と聞くと、「そうだ」とのこと。
「なぜ看護師を目指したのですか。」
思わず聞いてしまいました。
「娘が生き生きと働いているのをみたから。」
嬉しくなりました。
教育にたずさわるとこういう「いい思い」を味わえるのです。