多くの患者さんを長くみていると、いろいろなことが起こるのが分かります。
平穏無事に時が流れることももちろんあります。気になっているのに何事も起こらないこともあります。その一方、思いがけない展開をみることがあります。気になっていたことが、やはりと起きてしまうこともあります。
思い出されるかたがいます。だいぶ昔のことです。50歳代の男性でした。独身でお母様との2人暮らしでした。難しい手術を行い、無事退院となりました。手術標本での病理診断は進行がんでしたが、きれいに取り切れていました。組織型は意外にも珍しいタイプのがんでした。当時、このタイプのがんに有効な抗がん剤はありませんでした(現在はあります)。外来で経過をみることにしました。
複雑な手術の後でしたが、体調はよく、いつも上機嫌でした。若い頃、外国で勉強したこと、それが今の自分を作っていること、を饒舌に語っていました。
3年ほどしたとき、転移が見つかりました。当時すでに告知をする時代になっていました。ましてや、しっかりしたかたです。人の少ない時間帯の外来診察室にお呼びしました。画像を示しながら再発の話を始めました。
顔色が変わり、無表情となり、黙って私の説明を聞いていました。私の話が終わろうとしたとき、大きな声で泣き出しました。そして突然、叫びました。
「手術が下手だったからだ!」
言葉を失いました。何を言ってもむずかしいと感じました。
「申し訳ありません」。
深く頭を下げました。
1週間後、御自宅に電話を入れました。お母様が出られました。ご本人につなごうとされましたが、出ていただけませんでした。その後も何度か電話をかけました。いつもお母様でした。外出ばかりしているとのことでした。体調が悪くなれば連絡くださいとお母様に伝えました。
連絡はありませんでした。
1年ほど経ったときです。
突然、成田空港から病院の私宛に指名で電話がかかってきました。
「体調の悪いお客様が海外便に乗ろうとしている、どうみても具合が悪すぎて飛行機は無理だと私たちは判断した、かかっている病院を聞いたら先生の名前を教えてくれた」という内容でした。
飛行機は留学していた国に向かう便でした。
救急搬送をお願いしました。
久しぶりにお会いする姿はすっかり変わっていました。
私をじっと見つめ、弱い声で「飛行機に乗せてくれ」を繰り返していました。
私も乗せてあげたいと思いました。
その数年前、私の病理の恩師が、がんの末期に至ったとき、経鼻胃管を抜いて昔の留学先のウィーンに奥様と行き、ホテルの部屋で一晩中モーツァルトを聴いていたという話を思い出したからです。
同じことができないか。
しかし、遅すぎました。
「ごめんなさい」。
またも謝るほかありませんでした。