1年近く入院されているAさん。おしゃれな雰囲気のある超高齢の男性です。
病気になってからはほとんど寝たきりです。食事は摂れません。お楽しみゼリーを1口、2口、ときに全部食べることがあります。
今まで3度の危機がありました。その都度、「覚悟」をご家族にお願いしました。高熱で意識がなくなり、血圧は下がり、呼吸は切迫し、データは最悪となり、私も観念しました。
Aさんはそれを全て乗り越えました。
数ヵ月前から状態はようやく落ち着いてきました。
ベッドサイドに伺うと、目をつむってお休みになっていることが多くあります。
気分がよいと、好きな俳句の本を静かに読んでいます。内容は理解していないようだ、そういう見方が病棟にはあります。さりげなくじっと眺めているとゆっくりページをめくっていきます。理解して読んでいるように思えてなりません。
療養病棟では時間が静かに流れます。
それでも次の患者さんの受け入れ要請が次から次へと来ます。「落ち着いている患者さんは、できれば他の病院に移って頂こう」。話の流れはそうなります。
病棟での話し合いの結果、Aさんを自宅近くの病院に移っていただくのはどうか、という意見が出されました。
悪い話ではありません。ご家族もその病院がかかりつけになっています。そもそもその病院からAさんは送られて来たのです。
ご家族にこの話をすると大変喜ばれました。Aさんも「それは、うれしい」と言ってくださいました。
問題はその病院が引き受けてくれるか、です。相手病院の院長先生は、知らない仲ではありません。ある機会をとらえてお願いしたところ快く引き受けてくださいました。
しかし、院長レベルで話し合っても現場はそう簡単に動けるものではありません。現場には現場の事情があります。物事を平等に扱う義務があります。多分そうだったのだと思います。
転院の話は相手からなかなか届きませんでした。
忘れられたのかな、と思っていたとき、転院受け入れの連絡が舞い込みました。
転院は○月×日と決まりました。あと1週間です。
病棟が一気に明るくなりました。
早速Aさんにお伝えしました。
「うれしい」。いつもより顔が生き生きとしていました。
「あと1週間、何事も起こらなければいいね」。
電子カルテに向かいながら、隣の看護師にささやきました。
あと4日となりました。
回診で、おはようございます、と声をかけました。
Aさんは、目を大きく見開いて、突然大きな声でこう言いました。
「すばらしいネクタイですね」。
開口一番の言葉がこれでした。
その日の朝、冬の寒さが緩み、春めいた陽の光を感じました。ブルー系の多いネクタイの中でオレンジ系の柄を私なりの思いで選びました。
Aさんはそれを目ざとく見つけたのです。ちょっと嬉しくなりました。
「ありがとうございます。Aさんにもきっといいことがありますよ」。
久しぶりに気持ちのよい回診となりました。
翌日、転院3日前の午後、Aさんは熱を出しました。
その翌日、転院2日前、悪寒戦慄を伴う高熱が襲ってきました。血液培養を提出する一方、抗菌薬を処方しました。過去の培養での検出菌はことごとく多剤耐性菌でした。それでもこれが効くだろうと思われるのを選びました。考えられるあらゆる処置を行いました。もう1回乗り越えてくれ。強く願いました。
転院1日前、血圧が低下しました。昇圧薬の効果も薄れていきました。意識が混濁していきました。
転院予定日の早朝、息を引き取りました。
余りに急速な展開。痛恨の思い。天を仰ぎました。
「すばらしいネクタイですね」。
忘れることのできない言葉となりました。
Aさんが亡くなられたあと奥様にネクタイの話をお伝えしました。
「それはいつだったのですか」、「主人は何と言ったのですか」。
最期の有りさまを知りたい、というのです。
正直にお話ししました。このブログに載せることもお話し、ご了解をいただきました。
療養患者さんの最期の言葉を伝えるのがせめてもの私の務めです。