アルコール依存症からの脱出

日常診療の中でどう対応すべきか困惑する疾患がいくつかあります。
自分の経験ではアルコール依存症がそのひとつです。
膵臓を専門的に扱っていたときは、膵炎の原因としてアルコール多飲があることからアルコール依存症の人との関わりが多くありました。印象では、膵炎を契機に飲酒をやめた人は10人中3人。他は止めることができず、痛みが癒えるとともに、あるいは痛みの再燃を紛らわすために、飲酒を再開しました。
最終的にどうなったでしょうか。
膵炎の再燃で亡くなった、がんができて亡くなった、事故を起こして亡くなった、行方不明になった、などがあります。このうち行方不明が最多かもしれません。実は、私の心の奥底では、こうした患者にできれば関わりたくないという気持ちがありました。したがって追いかけることもしませんでした。異動で病院を離れると関わりが切れました。そして安堵が残りました。

1年ほど前(2021/6/2・6/3ブログ)、松本俊彦氏の著書「誰がために医師はいる - クスリとヒトの現代論」を紹介しました。依存症の双璧である覚醒剤にせよ、アルコールにせよ、この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは薬物の「よい使い方」と「悪い使い方」だというのが松本氏の主張です。覚醒剤を厳罰でいくら取り締まっても、アルコール依存症の人を「アル中」と呼び「困った人だ」と蔑んでも、何の解決にもならない。大切なのは、それに手を出す背景に思い至るべきだ、というのです。対応は、一言でいえば、否定しないこと、悩みを聞いて支えてあげること、に尽きます。ただし、個人的に対応しても限界があり、自助グループ(薬物だとダルク、アルコールだとAA)の存在が大きいと言います。

私も精神科医のアドバイスを受けながら自分なりに同様の対応をしてきたつもりです。しかし、正直、うまく行きませんでした。
そうしたとき、今年2月、朝日新聞の「患者を生きる」というコラムに「アルコール依存症になって」の連載が始まりました。新聞記者が実名で自らの体験を赤裸々に綴っていたのです。
依存症に陥っていく過程は多くの患者に共通しています。その過程がシリーズの前半に書かれていました。ではどう治療したか。全14回のシリーズの終盤に向け固唾を飲んで読み続けました。最終的にどう脱却したのか。私の患者さんたちと何が違うのか。
ヒントは最終回にありました。

「依存症になって飲んでいたときは、「今、その瞬間の嫌なこと」を忘れるために飲んでいた。飲むことで、どうなるか。そんな先のことを想像しなかった。
しかし、自助会に通ったり、専門外来に通ったりすることで、「飲んだら、どうなる」を想像できるようになった。
自分のためにやめる。自分がやめることで、結果的に周囲をトラブルに巻きこまないようになる。そう考えられるようになった。」

「アルコール依存症は「生き方の病」だ。肉体や精神をむしばむのは、アルコールという化学物質だが、依存症に至る背景には恨みやねたみ、悲しみといったマイナスの感情があることが多い。
そうした感情をうまくコントロールできれば、アルコールにおぼれる必要はない。」

要は、本人の自覚だということになります。この自覚に至るためには、専門的な治療と周囲(家族、職場、患者会)の支えが必要だと結論されています。

この記事を読んだあと、ひとりの患者さんを専門病院に送りました。
送ったらそれでよいというものではありません。その後のことも大切です。戻って来られたとき、私自身の過去の轍を踏まないために、「逃げ」ではなく、最大限の支援をしようとあらためて思いました。