アルツハイマー病の病因・治療・ケア

一昨日、松下 哲(さとる)先生から著書「認知症のブレインサイエンスとケア〜アルツハイマー認知症は抗ウイルス薬で予防できる」(かまくら春秋社、2021)が贈られてきました。
松下先生は大学の先輩で、老年病学・循環器病学の専門家です。私が東京都老人総合研究所(現在の東京都健康長寿医療センター研究所)臨床病理学部に勤めていたとき(ブログ2019/6/25・2020/10/13参照)、病理と臨床、研究と医療の在り方を教えてくださいました。ともかく真面目な学究的な先生でした。臨床は手を抜かず、現場の問題を解決すべく研究を行い、その成果を国内外に発表されていました。

以前も先生から著書「なぜ、どのようにわれわれは老化するか 〜要介護は体内エコロジー」(かまくら春秋社、2013)を贈っていただいたことがあります。
今回の本は先生が長年診てきた認知症、しかもその病因と治療に迫った内容になっています。学術本でもありますので客観的に読ませていただきました。
アルツハイマー病はアミロイドベータの脳内蓄積が原因とする考えが一般的です。したがって、アミロイドの蓄積を阻止する治療薬の開発が進められてきました。しかしほとんどが失敗に終わり、唯一成功したかにみえるのがアデュカヌマブという抗体薬です(2021/6/10)。それも慎重にならなければなりません。アデュカヌマブはアミロイドの脳内蓄積を抑制するとしても、本当に認知症の進展を阻止するのかは未決着だと先日のブログで書かせていただきました(2021/6/10)。

実はアミロイドベータはアルツハイマー病の原因ではなく結果なのだという考え方があります。この考えでは、アミロイドに治療目標を絞っても意味がないということになります。アミロイドあるいはその下流にあるタウという蛋白質をターゲットにした治療法がことごとく成功してこなかった理由はここにあるのかもしれません。では他にどのような考えがあるのでしょうか。
ウイルス説、自己免疫疾患説などです。
こうした学説を一般の人向けにレビューしたのが今回の「認知症のブレインサイエンスとケア」です。老年病の研究と臨床に関わり、内外の文献を渉猟して導いたのが「ヘルペスウイルスがアルツハイマー病の病因だ」という結論です。
本書は、控え目な松下先生としては珍しく「アルツハイマー認知症は抗ウイルス薬で予防できる」というセンセーショナルな副題が付けられています。
本来であれば学術誌に載せるべき内容だと一読して思いました。英語論文を含む多数の文献が巻末に載っていました。あとがきによれば、出版社の意向で「読者の目線で、かつ学問は専門家レベル」になったとのことです。いかにも松下先生らしいです。素直に出版社の提案を受け入れています。

さて問題はアルツハイマー病の病因です。あの松下先生が「ヘルペスウイルスがアルツハイマー病の病因だ」と断言するに至った経緯がこの本には書かれていました。副題の断定的な言い方とは少し異なり、松下先生はこう述べられています。
「アルツハイマー認知症を半世紀強にわたって見てきたなかで何より感慨をおぼえるのは、変性疾患・アミロイドカスケード説という従来のパラダイムからスローウイルス感染症という新しいパラダイムへ転換が起こりつつある内外の状況です。研究者にとって長年の悲願であったアルツハイマー認知症の予防と治療に道が開かれたのです。日本の認知症研究はこれまで生化学者、神経内科医、精神科医、神経病理学者の努力に負うこと大でしたが、残念ながら、新しいパラダイムに貢献するには時宜を得ませんでした。改めて西欧の合理性を追求する科学的精神と発想に富む研究者、そして彼らを支える成熟した社会との落差を感じます」。

85歳を超えられた松下先生が医療界および社会に対してどうしても伝えておきたい、そのメッセージに溢れていました。ちなみに先生は英語での発信を今も続けておられます*。
*https://www.alzforum.org/papers/antiherpetic-medication-and-incident-dementia-observational-cohort-studies-four-countries#comment-40086

アルツハイマー型認知症の成因・治療について先生の主張が受け入れられることを願ってやみません。

この本はアルツハイマー病の病因・治療という学術的な内容だけではありません。相当のページ数を割いた最終章は「認知症のケア」。松下先生らしい章立てです。
「認知症のパーソンセンタードケア」では「病気中心のケア」から「病人中心のケア」に方向転換する大切さを強調していました。「よいケアをしていくために、介護者は自分のことにも目を向けよう」と提言しています。「よいケアをしていくためには、私たちの基本的人権が満たされることが重要です。1つは息抜き、リフレッシュが必要です。何か全く別のことをする時間を持つことです。(中略)2つ目は、周りからのサポートです。貴方は聖人君子でもなく、ただの普通の人間なのです。息抜きの時間を確保するには、周囲の助けを探して見てください。(中略)3つ目は、貴方には本当に心を開いて話を聴いてくれる人が少なくとも1人は必要です。もしかしたら、喜んでそうしてくれる人は、貴方が思っているより周囲に多いかもしれません」。

最後の最後に、認知症の人が安心して暮らせる町づくりを強い口調で述べられています。
「認知症の人は、社会の役に立ちたいと思っています。認知症の人は、一人一人異なる個性の持ち主です。ひとくくりにせず、個性を尊重した対応が必要です。認知症の人が変わるのでなく、社会の方が変わらなくてはなりません」。

最後も松下先生らしいお言葉でした。