トーマス・クックの破産
大英帝国の繁栄のなかで生まれたイギリスの旅行会社トーマス・クックが先週、破産しました。そのため15万人のイギリス人旅行客が海外に取り残されました。EU離脱で対立するイギリス議会の与野党は、この一件では協力し合い、臨時の航空便を手配して帰国させるとのことです。それを伝えるニュースに青春時代を思い出しました。
今の若い人はトーマス・クックと聞いても何のことか分からないと思います。
海の冒険家? それはジェームズ・クックです。汽車のこと? それは機関車トーマス号です。
現在、ヨーロッパの鉄道の時刻表はインターネットで簡単にみられます。予約もオンラインでできます。半世紀前、私がハタチの頃、旅行会社トーマス・クックの1冊の分厚い時刻表が唯一でした。大学紛争がようやく落ち着いた1969年の夏、家庭教師で貯めた小遣いを使って、1カ月のヨーロッパ独り旅に出かけました。宿泊は寝袋持参で1泊数百円のユースホステル。Eメールのない時代です。予約は航空便のやり取りでした。手紙を出して返事がくるまで早くて2週間。自力で1カ月間の宿泊先を決め、移動は鉄道を使いました。当時、ユーレイルパスというヨーロッパ全土の鉄道(一部、バスや船)を自由に何回でも使える格安の切符が日本でも手に入りました。記憶は曖昧ですが、1カ月分が1万円ほどだったように思います。一等車も利用できましたので、学生には贅沢な列車の旅でした。
西ドイツからスタートし、オーストリア、スイス、イタリア、フランス、オランダ、イギリスを回りました。
その時、列車の時刻表として頼ったのがトーマス・クックでした。ヨーロッパ全土の列車の時刻が読み取れました。この日にミュンヘンで泊まれば、翌日ミュンヘン中央駅からウィーンに向かうには何時何分の列車に乗り、ウィーンに何時何分に到着。ウィーンの町を見物して郊外のユースホステルに泊まり、その次の日チロルのインスブルックに向かうとすると何時に起きて、何時の列車に乗り、何時に到着、などとひたすらトーマス・クックをめくっていました。
いざ、ヨーロッパで独り旅を始めて気付いたのは、トーマス・クックの時刻表の正確さでした。列車の運行も正確でした。予定通りの行動ができました。
私は新しもの好きでした。8ミリと呼ばれる家庭用ムービー撮影装置を持ってヨーロッパに行きました。当時のフィルム(カビを極力除去してデジタル変換したもの)からほんの一部をお見せします。①ライン川船旅でのローレライ、②イタリアのバチカン宮殿、③パリのルーブル博物館とシャンゼリゼです。自分の姿は行きずりの人に撮ってもらいました。50年前の私がはにかんでいます。パリの街では女性のミニスカートが眩しかった時代です。
そのトーマス・クックが時の流れとともに破産しました。私もそろそろ消える運命なのかもしれません。
①ライン川船旅でのローレライ
②イタリアのバチカン宮殿
③パリのルーブル博物館とシャンゼリゼ