昨夜、寝る前にNHKテレビを見ていると、ファミリヒストリーが流れていました。志村けん一族の話でした。2年前の再放送です。新聞の番組表には載っていなかったので追悼として放映されたようです。
志村けんのファミリーヒストリー。甲斐武田から志村家は武蔵国に来たとのこと。しかし、甲斐武田はもともと常陸国、今の茨城県の出身のはず。家来の志村家もまた常陸国にいたのでは・・・。そう言えば、前任地の茨城では何人かの志村さんを知っていた・・・。
などと思っているうちに、志村けんがドリフターズのメンバーに加わったのが1974年(昭和49年)4月だということが画面に出ました。
当時私は、都内の大学病院で研修医1年目の真っ最中でした。ちなみに私の大学卒業は1973年(昭和48年)9月。大学紛争の影響で卒業が半年延びたための9月卒業でした。
ドリフターズの荒井注がいなくなり、いつの間にか志村けんに変わっていたのをのちに知り、違和感を覚えた記憶が蘇りました。軽薄なお笑い、と蔑んだことも正直、私にはありました。
志村けんは私の1歳下、同じ団塊の世代の学年です。生まれてからずっと熾烈な競争がありました。その中を生き抜くために皆、必死でした。それを思えば、蔑むことなどできなかったはずです。
私の出身は埼玉県飯能市。東京に出かけるとき飯能駅から西武池袋線に乗ります。所沢駅で西武新宿線と交わります。新宿に出るとき所沢で乗り換えるかというとそれは絶対にありませんでした。終点の西武新宿駅は新宿駅と離れているからです。それでも路線図で、西武新宿線の東村山駅とか花小金井駅とか、井荻駅、鷺ノ宮駅などの名前を身近に感じたものでした。東村山音頭で一世を風靡したとき、自分の近くの人だと感じたのは間違いありません。
ご冥福をお祈りします。