母校・開成(2020/4/23ブログ)のモットーです。略して「ペンと剣(けん)」、さらに略して「ペンケン」。校章も帽章も「ペンケン」でした。
「武器で世の中を制することはできない、言葉こそ力なり」。そう理解していました。校歌の一節「ペンと剣(つるぎ)の旗のもと・・・」、大きな声で歌っていました。
今の東ヨーロッパ情勢から、ふと「ペンケン」に思い至りました。
誰の、いつの言葉だったのか。昔教わった記憶はありますが、詳しくは思い出せません。
ウィキペディア*で簡単に分かりました。
*https://ja.wikipedia.org/wiki/ペンは剣よりも強し
イギリスの作家エドワード・ブルワー・リットンが1839年に発表した歴史劇「リシュリューあるいは謀略(Richelieu; Or the Conspiracy)」に「The pen is mightier than the sword」が出てくるとのことです。リシュリューは17世紀フランス王国の宰相。部下による自分の暗殺計画を知るも枢機卿という聖職者の立場から武器は持てない、ならば、ペンで立ち向かう。そのセリフだとのことでした。
ウィキペディアによれば、言論と武器との対比は古代から言われているそうです。アッシリアの賢者アヒカルの言葉として「言葉は剣よりも強し」があるとされます。古代ギリシャのエウリピデスやキケロスにも同様の言葉が残されています。シェークスピアのハムレットに「剣をつけた多くの者がガチョウ羽のペンを恐れる」があるそうです。ナポレオンも「四つの敵意ある新聞のほうが千の銃剣よりも恐ろしい」と述べたとされます。
もっとも、「言葉は圧倒的な武器の前では無力である」という意味合いの格言もあると言います。
ウィキペディアの英語版には他にもこの格言にまつわる様々なエピソードが挙げられています。一部を下に載せます**。翻訳が憚れるのも載せられています(「トム・ソーヤーの冒険」)。
**https://en.wikipedia.org/wiki/The_pen_is_mightier_than_the_sword
日本語版も英語版も開成に触れています。「ペンとペン」の慶応についても書かれています。
調べると、開成の「ペンと剣」が制定されたのは1885(明治18)年。慶応が「ペンとペン」を定めたのも1885年頃とされます。「武器に勝つペン」のシンボルが同じ時期に制定されたのです。しかしその後、日本だけを見ても、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争へと進んでいきました。
ペンは本当に武器に勝てるのか。疑問です。それでも声をあげていくほかありません。