ヤマノススメ

先日、テレビの旅番組で埼玉県飯能市を特集していました。「ヤマノススメ」というアニメがヒットし、ハイキングの町として飯能が注目されているというルポでした。私はこのアニメのことを全く知りませんでした。ウィキペディアによると、コミック原作:しろ、監督:山本祐介。主人公の女子高校生は飯能市東町に住み、聖望学園に通っているとのこと。天覧山で登山に目覚め、全国の山を目指すようになった、というストーリーのようです。
私は飯能の生まれ、育ちです。天覧山は小学校の裏山でした。聖望学園は実家から1km以内に当時もありました。

時代が全然違います。アニメの乙女たちと一緒にできるはずもありません。しかし「ヤマノススメ」の話は私自身の人生を投影しています。もし飯能に生まれていなかったら、良き師に巡り合わなかったら、人生はかなり変わっていたように思います。その話をさせてください。

体育や理科の授業でよく天覧山を歩いていました。足を伸ばして右手の進久(しんきゅう)山(別名、水道山)、奥の多峯主(とうのす)山にも登っていました。マラソンは山を走っていました。
小学3年から6年まで担任だった山川誠一先生(2020/1/7ブログ)は野外授業が大好きでした。飯能市内にとどまらず、奥多摩の日原(にっぱら)鍾乳洞への遠足、青梅市に近い阿須(あず)丘陵の七国峠への観察旅行などを企画してくださいました。6年生のときには卒業記念登山として有志を募り、標高969mの棒ノ嶺(ぼうのみね)(別名、棒ノ折山 [ぼうのおれやま] )を案内してくださいました。
小学校を卒業すると私は都内の中学校に移りました。山を余り知らない都会の同級生に天覧山や多峯主山を案内して得意になっていました(2020/4/23ブログ)。

中学2年からは都内に下宿しました。土曜日には実家に戻り、日曜日になると裏山を歩くことが多くなりました。特に高校生になってからはその回数が増え、長距離の山歩きになっていきました。
好きなコースは、実家(地図*右下の赤丸)から1km余り北に向かって丘陵地帯に入り、宮沢湖の西の端を抜けて高麗峠へ、そこから下ると高麗川の巾着田に達します。高麗川を渡ってさらに北に行くと日和田山、物見山の登山口へと続きます。その先は山をまた下り宿谷の滝を経て鎌北湖まで歩きます。そこからバスに乗って高麗川駅で下車、八高線で東飯能駅まで戻ります。元気が残っていると同じ道を逆方向に歩き自宅に戻ります。物見山から北西の方向に尾根伝いを歩くと顔振(こうぶり)峠に行くことができます。顔振峠から山を下り、吾野駅まで歩いてから電車で飯能に戻ってきます。
*ヤマケイオンラインから合成:https://www.yamakei-online.com/yk_map/index.php?latlon=35.90370344547502,139.2944097518921&zoom=14

当時はハイキングというイメージはありませんでした。登山でもありません。単に山歩きでした。山の中で人に会うことは滅多にありません。ひたすら歩いていました。いろいろな思いで歩いていました。新緑が出始める春の山がとくに好きでした。思春期の思い出とも重なっていました。
中学3年から高校2年にかけて生物部の仲間と南アルプスに行くようになりました。広河原を拠点にして白根三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)を縦走したり、別の日には反対の尾根の鳳凰三山(薬師岳・観音岳・地蔵岳)に登ったりしていました。とくに鳳凰三山は登りやすく何度も登りました。花崗岩の大きな塊と仏教的な山の名前が印象的でした。
大学に入った年の夏は、高校時代の友人と2人で山梨側から入り、金峰山・国師岳・甲武信岳・雁坂峠・雲取山を経て秩父の三峯口まで1週間かけて縦走しました。これも登山というよりはワンダーフォーゲル(ワンゲル)だったと思います。

医師になってから山に登ることはほとんどなくなりました。車(ドライブ)に変わりました。

5年前、県立病院の院長を定年退職したとき、後輩の外科医たちが私たち夫婦に旅行券を贈ってくれました。院長職からようやく解放された喜びもあって、ありがたく頂戴しました。
行き先は山梨に決めました。中学・高校時代に登った鳳凰三山を人生の最後に眺めておきたいと思ったからです。体力的に登ることは叶いません。せめて眺めたいと思いました。
鳳凰三山が一番よく見える場所をグーグルマップで探しました。ベストポジションは、北杜市長坂町の県道612号を北東から南西に向かい、釜無川を渡る直前の右手にある「釜無川橋ポケットパーク」との結論になりました。
12月末、御用納めの翌朝、暗いうちに車で出発しました。午前10時前にポケットパークに着きました。快晴でした。甲斐駒ケ岳の神々しい姿は綺麗に見えました。残念ながら鳳凰三山にだけわずかな雲がかかり山頂が見えませんでした。
蓼科をドライブして夕方もう一度ポケットパークに寄りました。今度は鳳凰三山の全貌がくっきり見えました。左から薬師岳、観音岳、地蔵岳。天空に聳える地蔵岳のオベリスクもはっきり見えました。
その夜は甲府積翠寺温泉に泊まりました。人生に悔いなし。思い残すことなし。後輩たちに感謝しながら湯につかりました。

山に目覚めた「ヤマノススメ」の乙女たちは、今後どのような人生を歩むのでしょうか。
山歩きは健康によい、忍耐を養う、一歩一歩の大切さを学ぶ、などと言われます。しかし、若い時はそんなことはどうでもよい。自分がそうであったように、自然の中でひたすら自分と向き合う。それがよいのだと思います。