先日、岩手県釜石市でラグビーW杯2019のウルグアイvsフィジー戦が行われました。津波にのまれた小中学校の跡地に作られたのが今回のラグビー競技場だとのことです。
ラグビーと震災。さまざまな思い出がよみがえります。
私はラグビーをプレーしたことがなければ、ラグビーのファンでもありません。しかし、ラグビーの話はよく耳にしました。
自治医大の外科の医局員にはラグビー部出身がたくさんいました。背筋がピンと伸びて姿勢の良い手術の手本を見せてくれたH先生。実はラグビープレー中の怪我で首の手術を受けたため、背筋が伸びているだけだと知ったとき、なあ〜んだと思うと同時に、よくぞこれで済んだと戦慄を覚えました。
のちに公立病院の院長になったI先生。スクラムを組むように前のめりになりながら必死に膵臓の腫瘍を取りにかかる姿に、ラグビーに打ち込んだという学生時代を思い浮かべることができました。
私の大学在任最後の医局長を勤めてくれた別のH先生。様々な問題に果敢に挑みながら、ラグビー部の顧問だったK先生をさりげなく敬う言葉に人間としての深みを感じたものでした。
大学から茨城県に移ったとき、学閥や年齢を超えてラグビーを楽しもうよ、と呼びかける地方都市の病院長Y先生に出会いました。その呼びかけに応えたのが、私の赴任先の病院の外科医であったA先生でした。Y先生、A先生はともに忙しい診療の合間を縫って、お互い数10km離れていても合流して他の仲間とともに夜のプレーを楽しんでいました。
岩手県の海岸沿いの思い出もいくつかあります。これも自治医大の卒業生との縁を抜きには語れません。
震災後、三陸海岸沿いの市や町で地域医療・僻地医療を担う岩手県の卒業生から、現地に来ませんかと何度も誘いを受けました。震災まもなく宮城県南三陸町の病院支援をしたことはあっても、岩手県の海岸まで行く機会はありませんでした。2年前、震災後6年を経てようやく岩手県の沿岸を訪ねました。顔なじみのいる岩手県立釜石病院は海から離れたところにあったため津波の被害はまぬがれましたが、当時を知る人の口からは、悲惨な津波の生々しい証言を聞くことができました。釜石市の北隣の大槌町では、津波にのまれた町役場の残骸がありました(図1)。南に下った陸前高田市では奇跡の一本松を見上げました(図2)。
釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムは大槌町に近いところに建設されました(図3)。ウルグアイvsフィジー戦のハイライト映像を見ると、競技場の空は晴れ渡っていました(図4)。
この映像は象徴的です。明日に向かう勇気を確かにもらいました。
図1.旧大槌町役場。取り壊しか保存かの激しい論争のあと取り壊された(2017.6.16、筆者撮影、以下同様)。
図3.ラグビーW杯「岩手・釜石開催を成功させよう」の看板(2017.6.16)。
図4.ウルグアイ vs フィジー戦のハイライト映像(J SPORTS提供)
ウルグアイ vs フィジー戦のハイライト