一瞬の中の永遠

前回、一瞬一瞬を大切にする意味をお話しました。
短い時間でも一瞬は無限にある、と主張しました。

2021/4/25の日本経済新聞朝刊に「一瞬」を話題にしたエッセイがありました。作者はピアニストの仲道郁代氏、タイトルは「一瞬の中の永遠」。
こう書き出しています。
「私は演奏をしていると、曲の中のある一瞬に永遠を感じることがある。それは、一瞬にしか過ぎないのに、音の響の奥に永遠が聞こえてくる」。

私にも好きな曲や旋律はあります。しかしそれに「永遠」を感じるかというとぴんときません。「曲の中のある一瞬に永遠を感じる」とはどういうことでしょうか。
仲道氏によれば、「一瞬の中に、全てが薄皮のように重なっているイメージだ」というのです。さらに「永遠」についてこう述べています。
「音楽は時間とともに流れ行く芸術であり、終わりがあることを知っているものなのに、時間を超える感覚が、永遠とはこのようなものかと感じてしまう世界が、そこには、音楽にはある」。

亡くなった娘が楽しみにしていた仲道氏のコンサートを娘の写真とともに聴きにきたある母親について語ります。その思いに届く演奏ができているか、問い続けることが演奏の原点になっていると言います。ベートーヴェン、シューマン、ショパンなど作曲家が生きたその人生にも思いを巡らせます。
「作曲家の思い、私の思い、受け止めてくださる方の思い。音楽が見せてくれる「永遠」の感覚を感じ、感じている自分、そして、聴いてくださる一人一人の存在を強烈に意識する。生きているということを」。

少し分かった気がします。
演奏者だけでなく、聴く者も思いが重なると一瞬の中に「永遠」を感じるということでしょうか。音楽を聴く機会の少ない私には自体験が思い浮かびませんが、音楽以外の芸術や文学でなら幾度も感じてきたような気がします。風景の中、生活の中の一瞬にも「永遠」があったように思えます。

医療現場では、生か死かの問いかけを常に受けます。一瞬が永遠の別れになることがあります。その一方で一瞬のもつ貴重さもあります。

仲道氏は、ベートーヴェン最後のピアノソナタ作品111を取り上げ、エッセイの結びとしています。
「(ベートーヴェンは)永遠の天上界に昇ろうとする。そこは輝かしい響きに包まれた世界だ。けれども、最後の最後で彼は天上界へと架けた梯子(はしご)を降りてくる。人間は素晴らしいのだと。私たちは問い続けなければならないと。そして終わりは新たな始まりであると。だからこそ、稀有(けう)であり貴重なのだと。」

人は、いずれ死にます。
医師としては、自分自身に対しても患者に対しても、「どうせ死ぬのだから」ではなく、「今を生きているのだから」でありたいと思っています。