JR東日本の新幹線内サービス誌「トランヴェール」に沢木耕太郎がエッセイ「旅のつばくろ」を連載しています。よく使う東北新幹線に乗ると、必ず読みます。沢木は私より1歳上。切れ味の鋭い文章が好きです。
最新の8月号に「書物の行方」を書いていました。軽井沢の堀辰雄文学記念館を訪れたあと、近くの古書店に立ち寄った話です。古本の仕入れについて店の番頭に聞いたところ、古書業界全体が供給過剰で困っている、とのことでした。番頭曰く、「六、七十代の男性がいっせいに本を処分なさろうとしているせいです。この方たちが紙の本を大量に買った最後の世代なんだと思います」。

番頭は、団塊世代の男性である私のことを知っていて言ったのかもしれません。
今年、水戸から埼玉に越してくるとき、大量の蔵書を処分しました。引っ越し先の住居は狭く、本をまとめて置くスペースがなかったからです。本棚4つ分の本をダンボール18箱に詰めて古本屋に売りました。送った先は軽井沢町の近くです。入金は総額1万円少し。大学生時代から大切にしていた三島由紀夫「豊饒の海」全4巻(いずれも初版本、ケース付き)、医師駆け出し時代に入手した土井利位「雪華図説」(復刻版)、栃木〜茨城勤務時代に順次購入した塩野七生「ローマ人の物語」(文庫本)全43巻+スペシャルガイドブック、全国・世界の美術館で購入した図録・カタログの数々、みんなあっけなく査定されてしまいました。
医学書は買い取りを断られました。やむなく、資源ゴミで捨てました。医学生・研修医のころに一生懸命勉強した医学書はずっと大切にとっていました。置いておくだけでなく、ときどき手にとって調べることもありました。愛読した数多の医学書を自らの手でマンションのゴミ置場に次々積み重ねていきました。
本ではありませんが、本棚の上に置かれたスライド(病理解剖や手術標本を写した数千枚)とビデオ(手術を撮影した数百本)は燃えるゴミとして捨てました。
うしろ髪は引かれました。が、「悔いはない」と言い切り、すべて捨てました。

ところが、埼玉に来てから、捨てた本が必要になったことがありました。やむなくインターネットで注文し、別の古本を新たに購入するという、何ともバカなことをしました。そして「自炊(じすい)」(本をバラバラにしてスキャンし電子ファイルに残すこと)をしてパソコンに入れ、バラバラになった本をまたゴミとして捨てました。

沢木耕太郎はエッセイの最後に「(自分が残す本は)本当にこれからの人生で必要なものだけになるだろう」と書いています。気高い、意志の強さを感じます。一方、私は、これからの人生で必要なものすら捨ててしまいました。
まさに、人生の断捨離。おかしくもあり、悲しくもあり。
これが人生です。