余人をもって代えがたし

今年はじめ、検察庁人事で話題になった言葉です。その後、代えがたかった人は不祥事により退職を余儀なくされ、ほどなく余人が任命されました。余人は問題なく職務についています。そうであれば「余人をもって代えがしたし」は嘘だったではないか。人事を強行した任命者とその説明者は追求される羽目になりました。

私は色々な組織に身を置いてきました。人事について「余人をもって代えがしたし」を数度聞かされました。無難な人事でこの言葉を聞いたことはありません。特別なときに使われました。
なかでも印象に残るのは、組織規程で留任はあり得ないときに聞かされた「余人をもって代えがたし」でした。規則を破って行う人事に使える「便利な言葉だ」と感心する一方、「やはりおかしいことはおかしい」という正直な思いもありました。信任投票では否としました。多数決で諾とされました。

では、先に規則を変えておけばよかったか、と言うと、話はそう簡単ではありません。任期規程はそもそも「人事の活性化を図り、流動性と機動性を高めるため」にあります。その基本を動かすことは適切ではありません。とくに、時の権力者の思惑が働くのであれば任期延長は好ましくありません。それでも高齢社会のなかでは任期規定の見直しは当然あってもよいと思います。その場合は、時間をかけて議論すべきだろうと思います。唐突な延長は下心がみえてしまいます。

「余人をもって代えがしたし」に抵抗するもうひとつ大きな理由があります。どんな場合でも余人はいくらでもいるはずだ、と思うからです。向き・不向きは多少あるにせよ、代われる余人がいないわけがない、という思いです。それは自分の見聞からきますが、そうでなければならないという必然性もあるからです。
リーダーが突然倒れることがあります。そのときどうするか。次の人がリーダーを当然務めます。務めなければならないのです。余人がいない場合などあり得ません。
別のケースもあります。前任地で東日本大震災が発生し、病院に甚大な被害が出たとき感じたことです。情報を1つに集め、指揮命令を1つにまとめようとしても不可能でした。そのときお願いしたのは、各部署がそれぞれの判断で行動してよい、ということでした。細かなことを言えばキリがありません。怒鳴りあう場面もありました。災害対策本部長(院長)に対応能力がなかっただけなのかもしれません。それでも結果は素晴らしいの一言でした。余人はいくらでもいると感じました。
さらに言えば、組織としては人の余裕を持たせることが大切です。コロナ禍を考えなくても分かることです。

この議論は「リーダーとは何か」にもつながります。別の機会に私見を述べたいと思います。