昨日の日曜日、都内で人と会う約束がありました。天気も良く、早めに出かけました。東京駅近くの三菱一号館美術館で「印象派・光の系譜」展(イスラエル博物館所蔵)が開かれているからです。
印象派の展覧会は日本では人気が高く、いつも大混雑します。なかなか行く気になりません。今回は1つの作品に絞りました。待たされてもこの1点さえ見ればよい、と出かけました。
会場は意外と空いていました。私は予約なしでした。入口での人の流れを見ると予約制が徹底しているようにみえました。
お目当てはレッサー・ユリィの「夜のポツダム広場」。
実はレッサー・ユリィという画家を知りませんでした。朝日新聞の「美の履歴書」で知りました(2021/11/9夕刊)。
「繁華街なのに なぜ物憂げ」。「ユリィはこれまで、日本ではほとんど知られていなかった。だが、この作品は、今展に並ぶモネやルノワールといった印象派の巨匠たちの作品を押しのけて、一、二を争う人気だという。ポストカードは唯一、展覧会初日に売り切れ、急きょ、補充された。コロナ禍で、日本でも都市の喧噪が失われる日々が続いた。偶然にも、100年ほど前にユリィが表した物憂さが、今の時代の空気と重なるからなのかもしれない」(西田健作)。
実物は意外と大きいものでした。1920年代半ばの作品とのこと。世界大戦の狭間の首都ベルリン。夜なのに明るい青が背景にありました。降り続く雨、人通りの絶えた広場、傘をさしてたたずむ男女、足早に道を渡る1人の男、遠く淡く烟る街灯。一方で、左の建物から漏れる眩い黄金色、向かいの建物に灯るネオンの文字。外の闇と静寂と湿気、内の光と喧騒と乾き。その対比に思わず唸りました。
ユリィのもう一作「赤い絨毯」は予期せぬ出会いでした。
母親は裁縫で生計を立てていたとの解説がありました。黙々と裁縫に勤しむ女性を背後から描いています。窓の穏やかな光が女性の髪を染め、足元の絨毯の赤を際立たせています。窓の向こうにはベルリンの街の屋根の景色。
静かに流れる人間の営みです。過去の一瞬であっても、今に通じる営みです。
ユリィはプロイセン出身のユダヤ系ドイツ人。ホロコーストに遭遇する前の1931年69歳で亡くなりました。ユリィの作品をイスラエルが所蔵するに至った背景にどのようなドラマがあったのか。そんな思索に耽りました。
もちろん、フランスで活躍した印象派の主流ピサロ、セザンヌ、モネ、ルノワール、ゴッホも堪能しました。
こうした有名画家の作品10点ほどが1つの部屋に集められていました。そこでは写真撮影とSNS利用が許されていました(フラッシュ禁止・三脚禁止)。
美術館と主催者の粋な計らいに心が満たされました。
安寧の1日でした。
今日のあの人へのオマージュでもあります。