リチウムイオン電池の開発者、吉野彰氏がノーベル化学賞を受賞しました。日本人がノーベル賞をもらうのは同じ日本人として嬉しいものです。

私がドイツに留学していたときの研究室(ラボ)のトップはノーベル賞を狙っていました。研究補助の女性たちは、お茶の時間になると、本人がいないときに限ってですが、よく話題にしていました。期待と皮肉の女性独特の微笑みで話題にしていました。私から見ても正直この業績では無理だろうと思っていました。ゴールが小さいと思ったからです。ゴールとは、要するに夢だと思います。思い切りうまくいったとき、バラ色のすごい世界が開けることを夢見るのであれば、可能性はあると思いました。しかし、夢にしては小さいな、というのが正直な感想でした。ラボの女性たちも同じことを言っていたように思います。
では、自分はどうなのだと、という当然の問いが生じます。そもそも、外科医として研究していましたので、基礎研究を極めるつもりは全くありませんでした。それでも、膵臓病学の発展に必ず寄与すると思って一生懸命、実験に取り組んでいました。

吉野氏の受賞のニュースを読みながら、それなりの感慨がありました。
まず、吉野氏と私は1948(昭和23)年生まれの同い年です。団塊の世代の仲間です。そして、リチウムイオン電池のプロトタイプを完成させたのが1986年。私はその年、「膵癌のリンパ節転移に関する研究」で学位を授与されました。旭化成がソニーと組んでリチウムイオン電池を商品化したのが1991年。私がドイツ留学を終え、国立療養所東京病院の外科医長を経て、人生の中でもっとも大きな外科修行を積んだ自治医大に赴任したのが同じ1991年でした。
結婚したのが1974年。今年、結婚45周年。全く同じです。吉野氏の奥様は、苦労があったと述べておられました。私の家内も同じ感想があると思います。子育てを放棄し、のちに人生最大の悔恨となりました。ノーベル賞という栄誉を受ければ全てが帳消しになるのでしょうが、こちらはそうは行きません。

団塊の世代とノーベル賞というテーマで調べてみました。
海外国籍を取得した人まで含めると日本人のノーベル賞受賞者は28名、このうち1900年以降に生まれたのは27名でした(情報はWikipediaに由る)。
10年ごとに見ると、1900年代3名、1910年代1名、1920年代5名、1930年代7名、1940年代5名、1950年代4名、1960年代2名です。戦前生まれ、とくに1930年代生まれが目立ちます。少年時代に戦争を経験し、戦後の混乱と貧困の中で学問に打ち込んだ姿が目に浮かびます。団塊の世代は今回の吉野氏1名のみ、それ以降の若い世代が6名です。
さて、これをどう読むか。
3年間で800万人生まれた団塊の世代と、その後13年間で生まれた2300万人の若い世代とを比べると、ノーベル賞は団塊の世代から1人(1/800万人)、若い世代から6人(6/2300万人)です。統計学的に有意差はありません。しかし、団塊の世代は2025年問題(全員が後期高齢者になって社会保障制度の根幹を揺るがす問題)や2040年問題(ほぼ全員が死んで社会に迷惑をかける問題)で冷たい目で見られています。この見方に異議を唱えたことがあります(8月19日のブログ)。ノーベル賞授賞者の数でも何ら卑下する必要はありません。
それにしても、同世代のあの人が文学賞をもらってくれさえすれば、2/800万人 vs 6/2300万人となって文句は言われないよね、ご同輩。