患者さんの診療では、何が異常かを探ります。例えば、貧血があると、身体検査では眼瞼結膜が白い、爪が白い、という所見を重視します。採血すればヘモグロビンが少ない、赤血球数が減っている、という所見が明らかになります。
診断では正常(基準)からどれほど掛け離れているかの判断がたいへん重要です。基準内なら正常ですし、掛け離れていれば異常です。
私たち医療者が患者さんを見る眼は、いつも、正常からどれほど離れているのかという視点です。確かに異常の診断は重要なポイントです。
一方、回復の過程を考えると、正常からどれほど離れているか、は本当に重要かという疑問があります。
病気で失った機能を評価する場合、これもできない、あれもできない、という評価がどれほど重要か、ということです。
私は、これを引き算の評価だと思ってきました。本当の評価、あるいは、患者さんのためを思う評価というのは、引き算ではなく、足し算だと思ってきました。
これもできる、あれもできる、という評価こそ重要ではないか、と考えてきました。現実の医療現場では、「正常者」の基準に従って、「できないこと」、「劣ること」を限りなく数え上げて「評価」する傾向があります。それは本当に正しいのか、という疑問を長年持ち続けてきました。
病気ですから、高齢ですから、「劣る」のは当然の話です。評価者自身もいずれそのような「劣る」立場になります。そうした「引き算」の評価が、本当に病者のためになるのか、生きる意欲・生活する意欲を与えるのか、という疑問です。
「劣る」とは何を基準に考えるのでしょうか。そもそも人間に「優れる」、「劣る」という評価は妥当でしょうか。
そう考えると、引き算よりは足し算で考えるほうが、人にも自分にも優しいのではないか、と思うようになりました。
次回詳しく述べたいと思いますが、医療だけでなく、人間関係で悩むことの多い社会生活の中で、足し算の考え方が引き算よりもはるかに重要だ、という思いが私にはあります。