2020/7/28のブログ「余人をもって代えがたし」で、余人の話は結局「リーダーとは何か」につながると述べました。
補足します。
組織あるいは地域ではリーダーの存在は欠かせません。医療も同じです。リーダーがいなければ、医療は成り立ちません。
だからだと思います。医学部の卒業式で学長が「リーダーたれ」と式辞で述べることがよくあります。
しかし、その式辞を聞くたび違和感がありました。
なぜ違和感なのか。
超エリート大学医学部が仮に全国1校しかないとすれば、「リーダーたれ」はそれなりに意味があります。自分の大学の卒業生こそリーダーだという「絶対的正義」があるからです。しかし、そうでない場合、あるいは、多くの大学で同じメッセージが卒業生に向けられるとしたら、どういうことになるでしょうか。
同じ病院、同じ地域でA大学・B大学・C大学医学部の卒業生がそれぞれ卒業にあたり「リーダーたれ」と言われていた場合、お互いどうしたらよいでしょうか。
そのような訓示を聞いたことのないD大学・E大学・F大学の卒業医師は、どう考えればよいでしょうか。
何と低次元の話だろう。おそらく一般の人は思うでしょう。
そもそも、なぜリーダーは医師でなければならないのか。法律で病院長は医師と規定されているのは確かです。しかし、だからと言って、なぜ他職種が様々な医療分野、地域医療でリーダーになってはいけないのか。さらに言えば、なぜリーダーが大学卒でなければならないのか。
大学医学部卒業式の「リーダーたれ」に違和感を感じる理由はこれで分かると思います。ならば、どういうリーダー論を唱えればよいのか。私自身、うまく説明できませんでした。
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この課題にヒントを与えてくれたのは、小学校のある教員でした。
数年前のことです。
当時私は地方都市の教育委員を務めていました。ある夏、教育委員の仕事として、市内の小中学校の教員全員が参加する研究発表会を視察しました。小学校の若い教員が「リーダーとフォロワーを育てる学校経営のあり方」を発表していました。なお教育で使う「経営」は医療での使い方と異なり「運営」という意味合いです。
問題の原点は、複数学年による集団活動の縦割り班活動にあったとのことです。本来なら6年生がグループをまとめる役割を担うのに、リーダーシップが発揮できないことが多い。それは単にリーダーとしての経験が少ないというだけではない、リーダーを補助するフォロワーシップが見られないためでもある、というのです。そこで2つの仮説を立てました。①リーダーを育成するため児童ひとりひとりの良さを相互に認め合うことでリーダーシップとフォロワーシップを育成できるのではないか、②リーダーやフォロワーに必要な資質や能力を身に付けさせることで児童のリーダーシップやフォロワーシップが育成できるのではないか。①の仮説には、友達の得意なこと、好きなこと、良かったことを取り上げ、隠れたヒーローを探させ、目立たない友達でも良いところを見つけさせ、失敗してもチャレンジを認める、という作業、②の仮説には、リーダーとフォロワーの必要性を実感させ、それぞれの役割を明確化し、リーダーとフォロワーの両方を経験させる、という作業を行ったとのことです。
その結果、①児童同士の認め合う姿や前向きな言葉を聞くことで周りの児童に目を向けるようになり、司会進行(リーダー)を務めたいという児童が大幅に増えた、②児童が自信をもって司会進行に取り組めるようになったと同時に、リーダー以外のフォロワーの役割にも気づきグループの協力体制や役割分担が生まれた、とのことです。
この研究内容は、社会全般や医療現場にも当てはまると思いました。
他人の良いところを認め合う大切さはこのブログでも紹介しました(2020/7/1、2020/7/6)。ですから私もよく分かっているつもりでした。一方、フォロワーシップという言葉は初めて聞きました。しかしこれを聞いた途端、この考えは従来のリーダー論の隘路を打破するばかりか、医療現場にすぐ役立つと直感しました。医療、緩和、看護、リハビリ、介護、福祉の現場で医師はリーダーでもフォロワーでもよい、医師以外の職種もまたリーダーでありフォロワーでもあると感じました。地域医療の中ではリーダーとフォロワーの両方を経験することにより地域全体のレベルが上がるのではないか、と感じました。だから、卒業がA大学でもB大学でも、E大学でもF大学でも、学長訓示を聞こうが聞くまいが、大学卒であろうがあるまいが、誰でもリーダーになれるし、お互い敵対する必要もない、ということなのだと納得しました。
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教育研究会のあと、leader・followerをキーワードに検索するとたくさんの文献が出てきました。かつてのリーダー論は時代遅れだと分かりました。10数年前から既に新しいリーダー論、すなわちフォロワーの視点からのリーダー論が唱えられているのを知りました。私たち医療者が知る前に、日本のビジネス界はもちろん小学校の教育にも取り入れられていたことに衝撃を受けました。
James H. Schindler: Followership. What it takes to lead(Business Expert Press, New York, 2015)に次の一節があります。
Followership is not synonymous with being a subordinate. Followers and leaders both orbit around the purpose, followers do not orbit around the leader.
(フォロワーシップは僕(しもべ)になることではない。フォロワーもリーダーも同じ目的の周りを回るのであって、フォロワーがリーダーの周りを回るのではない。)
In order to be a good leader you must first be a good follower.
(良きリーダーとなるには、まず良きフォロワーでなければならない。)
こうした結論に至る過程が説得力のある言葉で語られています。
しかし、こうした本を読むまでもなく、小学校の教員からの指摘を受けるまでもなく、医療現場ではもっと早くにこの認識に至るべきだったと反省しました。