新型コロナ最前線

ブログが1週間、手につきませんでした。新型コロナのことで悩んでいました。

新型コロナウイルス感染患者への対応は、都内だけでなく埼玉県も厳しくなってきました。入院ベッドはすでに限界を超えています。感染者の自宅待機も問題ですが、PCR検査すら受けられない「疑い患者」の増加も無視できません。

先々週から先週にかけて、厳しい対応を迫られました。
「命の選別」が現実的になる、と追い詰められました。
僻地医療・医療過疎の問題を考えていたときとは異なる視点が必要だと思いました。

医療機関同士が協力し合って、少なくとも「命の選別」だけは避けられないか。切に願いました。一方、病院が感染の一大クラスターになってしまうのも間違いありません。通常の感染対策をしていれば大丈夫というほどこのウイルスは柔(やわ)ではありません。感染者の10-15%が医療関係というデータがあります。海外では医師の犠牲死が少なからず報告されています。日本でも重篤化した医師の話が仲間内でささやかれています。

行政は何をしているのだ。必死の眼差しの患者・家族が迫ってきます。私たちも思わずつぶやいてしまいます。しかし、私には保健所の苦悩が手に取るように分かります。実際の診療に当たる感染症指定病院・高次機能病院の苛立ちも伝わってきています。他人を責めず、自分も責めない。その冷静さが求められます。

当院の混線そのものの動線。ゾーニングができない、陰圧室がない、専門家もいない。そもそも医師不足に看護師不足。防護服どころかマスクさえ足りない。その中で、どう対応したらよいのか。
「発熱患者の診療は拒否すればよい」。
1つの意見です。職員を危険に晒してはいけないと考えるとともに、医療者としての責務・使命があるだろう、という思いもあります。

職員の真摯な、前向きな意見を聞きながら、1つの方向性を定めようと考え続けた1週間でした。