昨日、第5回日本メディカルイラストレーション学会がオンラインで開催されました。第4回は昨年開催予定でしたが、コロナ禍のために廃会となりました。
本学会についてはこのブログでも紹介したことがあります(2019/12/12、2019/12/13)。欧米には古くからメディカルイラストレーションの伝統がありますが、日本では比較的新しい分野です。欧米でも日本でもメディカルイラストは主にマクロ解剖や手術場面を描写するものが多かったと思います。その後、範囲は広がってミクロ解剖、病理まで広がり、さらに病態生理など目に見えない想像の世界をも描くようになっています。
今回の学会は認定講習会1題、特別講演8題、ポスター発表39題から成っていました。正直、オタクの発表が多いと思いました。だからこそ、楽しい学会でした。
ポスター発表は医師29名とイラストレーター10名からでした(分類の一部は推測)。
医師を専門分野別にみますと、病理診断学4題(全て同一者)、胸部外科3題(2題は同一者)、消化器一般外科3題、耳鼻咽喉科4題(3題は同一者)、脳神経外科13題(1人のみ2題発表)、形成外科2題。全国で実施される総手術数からすると消化器一般外科が少ないのが寂しいと思いました。脳神経外科からの発表は最多であると同時に質の高さはピカイチでした。コンピュータを駆使しプロのイラストレーター顔負けの出来栄えです。脳神経外科の手術は視野が狭く、しかも顕微鏡を使うことが多いのが特徴です。手術局所には重要な血管や神経が錯綜しています。狭い視野の中での手術ですので、術中写真だけでは、手術の全貌を捉えることはできません。見えない部位の血管や神経の走行まで示すことに意味があります。そこにイラストの重要性があります。その点では消化器外科の手術は、開腹であれ腹腔鏡であれ、視野は広く術中写真を貼り付けて手術記録としてもさほどの違和感がありません。しかし、私は消化器外科の手術であっても術中写真では手術の真髄を表すことはできないと考える立場です。最近の腹部手術アトラスのかなりの部分が写真で示される風潮には賛成できません。脳神経外科医からもっと学んでほしいと思いました。学ぶべき真髄とは、本学会のテーマ「強調と省略」です。術中写真には「強調と省略」がないのです。
特別講演から印象に残った2題を紹介します。
1つは順天堂大学解剖学・生体構造科学講座の加藤公太助教による「美術解剖学やビジュアルデザインの現場から」。
高校卒業後、服装学院に入学し「服装(衣服)解剖学」に興味を覚え美術解剖学の習得を目指して2 浪ののち東京藝術大学デザイン科に入学。藝大大学院では美術解剖学研究室で博士(美術)、順天堂大学大学院では解剖学・生体構造科学で博士(医学)の2つの博士号を取得しました。
加藤先生の特徴はもちろん素晴らしいデッサン力ですが、何よりも感銘したのはあくなき好奇心です。やや気持ち悪い話で恐縮ですが、路上で車に轢かれた動物を見つけては研究室に運び込み解剖してスケッチしていたとのこと。ハクビシンのその写真は鬼気迫るものでした。美術トレーニングは模写すること、ただし、単に模写するだけではダメだ、常に改善を求めてひたすら努力することだ、と熱く語っていました。現在、大学の解剖学教室に身を置き、研究と教育に関わっていますが、加藤先生はそれに留まらず、美術解剖学の普及に努めたいという強い信念を持って社会への露出を強めているのです。その目的のために利用しているのがツイッターです。フォロワーは10万人とのこと。大学に身を置く者だけでなく、アカデミアの重要性を感じる私も見習わなければなりません。講演後の質疑応答で「好きこそものの上手なれ」を引用されていました。
もう1つ印象に残った講演は有限会社彩考の佐藤良孝代表(メディカルイラストレーター)による「『日本人体解剖学』図版の全図カラー化による改訂作業報告」です。
1956年初版の金子丑之助(日本医科大学教授)著「日本人体解剖学」は日本人による日本人の解剖学の最初の教科書でした。私は姉が使った「日本人体解剖学」全3巻をもらい受けました。ただし、私が解剖実習をした1970年にはドイツの解剖図譜であるペルンコップがありました。同じくドイツのゾボッタの図譜もありました。どちらもオールカラーの美しい図が盛り沢山でした。姉は医学生のときお金がなく、白黒図版の「日本人体解剖学」で解剖を勉強しました。私はドイツへの憧れとカラーの魅力に取り憑かれペルンコップとゾボッタを購入しました。しかし、脳神経解剖学は圧倒的に「日本人体解剖学」のほうが優れていました。神経回路の図示が豊富だったからです。
しかし、「日本人体解剖学」の白黒オンリーの図は当時の私には物足りませんでした。今思えば恥ずかしい限りです。動脈は赤、静脈は青、神経は黄色、胆道は緑、肝臓と腎臓は茶褐色、膵臓は黄色、脾臓は青紫、と着色されていても、所詮、本物の色ではありません。実際の手術では動脈は白、神経も白、腎臓もゲロータ筋膜を被れば白です。実際の手術で組織の確認のためには、図譜の色付けなどないほうが初学者にはよいと、あとになって思うようになりました。
しかし、現代の初学者にとっても教科書の「着色」は必須です。売れ行きが全く異なります。佐藤氏は、出版社の南山堂に残された「日本人体解剖学」の元図に着色を施した過程を報告されました。企画から完成まで6年。佐藤氏は美術修復の鉄則を挙げました。1.オリジナルを痛めないこと(余計なことをするな)、2.将来、修復するときに除去できる素材と方法で行うこと(可逆的であれ)、3.作者が意図したことをよりよい状態で見せること(作者の意思を忖度せよ、自分を出すな)。
元図は出版社の南山堂に残されていた1600点。ドギツイ着色は避け、穏やかな色使いの改訂となっていました。「日本人体解剖学」のオリジナルを知る者として、私にとってもそれなりに嬉しい出来栄えでした。オリジナルの作品を目指すイラストレーターとして佐藤氏は悩んだそうです。6年間の歳月をかけて他人の作品の色付けをする意味はあるのか、と。それでも一大事業を完遂しました。講演の最後にこう述べました。「デジタル化はここ20年間程度のことで、過去には膨大な紙による資産があると考えられます。これら、埋もれた原画の保存修復も待ったなしかもしれません。本書籍にとどまらず、これを機会に、過去100年、200年前のメディカルイラストレーターの埋もれた業績にも目が向けられ、今後の研究が進むことを期待します。」
佐藤氏の講演を聴いていて、飛び上がることがありました。
「日本人体解剖学」の元図を描いたのは5人の画伯です。「その画伯の名前が初版から18版までの序文に記されていた、しかし山本甚作画伯の履歴を除くと、他の4人の画伯の履歴は今残っていない」と佐藤氏は述べられたのです。
5人の画伯の名前がスライドに出ました。「高橋丞、米倉隆、今泉、山本甚作、山本傭夫」。びっくりしたのは最後の「山本傭夫」です。佐藤氏は「やまもとつねお」と発音されました。
漢字は1字違っていますが、このブログでも紹介した山本庸夫(つねお)画伯で間違いありません(2019/6/7、2020/7/20)。私が自治医大(栃木)の美術部顧問をしていたときに学生への美術指導をしてくださっていた画伯です。夜通し飲んでよく語り合っていました。そのとき、日本医科大学の金子教授のもとで人体解剖学の図を描いていたことを語っていました。今でも「山本庸夫&画家」でインターネット検索をすれば簡単に出てくる画家です。超高齢ながらなお現役です。それが「履歴不明」と言われてしまったのです。おそらく「庸」が「傭」となっているために検索不能になったのではないか。
山本画伯御本人に確かめるべく、久しぶりにお電話をしました。今年89歳。
相変わらず元気なお声でした。
「自分の『つねお』はいつも庸夫であって傭夫ではない、平凡・愚かの意味がある庸だ、雇う傭ではない、ハッハ、ハッハ・・・。高橋丞さんは大先輩。米倉さんも知っている。今泉さんは日本画家だった。山本甚作は父の弟で伯父にあたる。「日本人体解剖学」に関わるようになったのは伯父のお蔭ではなく、もともと南山堂の外科学書(慶應大学教授茂木蔵之助著「茂木外科総論」の改訂版)の図を描いていた関係だ。(展覧会はありますかとお聞きすると)いや〜、今はコロナで展覧会はなくなった。世の中が落ち着けばまた開くから知らせますよ」。
奮い立つ1日でした。