かつて年間200件以上の定時の全身麻酔手術に関わっていました。それ以外に年間30例ほどの緊急手術を手伝っていました。深夜〜未明の手術もそれなりにありました。加えて、外来、回診、研究、会議、講義、学会、論文執筆、査読、海外出張、医師会活動など、盛りだくさんの仕事をしていました。
大阪での夕方の講演のあと、夜遅くまで懇親会に付き合い、寝台列車に乗って翌日の始業に間に合わせたことがあります。地方での手術では最終列車に乗り遅れることが時々ありました。新潟では、近くのホテルで3時間の仮眠を取り、最寄りの新幹線の駅の始発に間に合わせるべく午前3時にタクシーを呼んだことがあります。長野で午前1時過ぎまでかかった手術のあと、夜通しタクシーを走らせ、朝のカンファレンスに間に合わせたこともありました。国際学会に参加したイタリア・ローマから出勤したこともあります。週末は、仕事絡みのゴルフにもまめに参加していました。
不思議なことに仕事がどれほど忙しくても、自分の時間がありました。飲み会を断ったことはまずありません。忘年会10回、新年会5回などザラでした。仕事のゴルフばかりでなく、前夜祭込みのプライベートゴルフも楽しんでいました。ドライブにもよく出かけました。手術を最も多くこなした助教授時代の7年間、車の総走行距離は20万kmを超えました。コンサートや美術館、映画館にもよく通いました。小説もそれなりに読んでいました。
1日が48時間いや72時間あればと願っていたのは確かです。
いつ睡眠をとっているのですか。よく聞かれました。
会議の時だよ。
真面目に答えていました。
若い人が「忙しくてできない」と言ってくると、「忙しいは理由にならない。時間は作るものだよ」と、うそぶいていました。
手を抜くときは抜く。重要事案は全身全霊を傾ける。その含みがありました。
後輩の学位審査の事前チェックが前日になってしまったことがあります。遠くの外勤先にいた後輩は、仕事のため昼間は来られないと電話で言ってきました。その日、私は某市で夜の研究会に参加しなければなりませんでした。そこで2人が落ち合ったのは午後10時、某市郊外の高速道路Kインターチェンジ料金所の前でした。スライド(当時はPCではなく、35mmスライド)を車内灯に透かして見ながら、発表原稿を読んでもらいました。スライドはもはや訂正できません。口頭で補うしかありません。言い逃れができない箇所では「素直に謝れ」などと指示しました。2人が別れたのは日付が変わる直前でした。
思えば「パワハラ」だったかもしれません。今なら「ブラック」と言うのでしょう。家族からもずいぶん非難されました。
時代は移り、今、自分を含め常勤医11人の中規模病院で多くの入院患者、外来患者を診ています。下につく医師はいません。処方も指示も全て自分で行います。急変にも独りで対応しています。1日がせめて48時間あって欲しいと願っています。
「時間は作るものだよ」。
よくあんなことを言ったものだ。今になって後悔しています。
自業自得、因果応報。
黙ってやるほかありません。
好きだった言葉「刹那に生きる」を恨んでいます。
それでも、同僚の医師に助けられています。ありがたいことです。医療は医師だけで行っているのではありません。全ての医療者の助けがあって支えられています。ありがたいことです。
日曜日と祝日は本当にありがたい安息日です。しかも自分のベッドで好きなだけ寝られるのです。こんな幸せはありません。ときどき病院からの電話で起こされても幸せです。
時間は作るのではなく、恵みとしてやってくる。そのことをようやく実感しています。