東京オリンピック1964の思い出

高校1年でした。下宿をしていました。テレビはありません。情報源は新聞とラジオでした。平日の昼間、土曜午前には授業があります。誰かが携帯ラジオを教室に持ち込み、イヤホンで実況を聞いていました。授業中に後ろの席から「日本が勝った」というささやき声が届き、前の席にそれとなく伝えていきました。生物の授業をしていたA先生が目ざとく見つけ、叱るかと思いきや、満面の笑みで無邪気に喜んだ姿が忘れられません。

土曜の夕方から日曜日1日は実家に戻っていました。実況も一部はテレビで観たはずです。しかし、開会式にしても閉会式にしても競技にしても、記憶に残る映像が実況だったのか、ニュースだったのか、市川崑監督の記録映画だったのか、曖昧です。

マラソンのアベベ・ビキラ選手が大会連覇を飾った姿、同じマラソンの円谷幸吉選手が苦しみながらも3位に踏みとどまった姿、大松博文監督率いる女子バレーボール「東洋の魔女」が優勝を喜ぶ姿。自信がありません。後年、アベベ選手、円谷選手、大松監督それぞれの不慮の死をニュースで知ったときの衝撃は間違いなく実体験でしたが、活躍する勇姿を実況で見たのかと問われると自信がありません。

今回、時間さえあれば東京オリンピック2020をテレビ観戦しています。ブログを書くことを含め、自宅での仕事が手につきません。
高校1年のときは、時間を惜しんで勉強と読書をしていました。私の記憶に残る東京オリンピック1964は、実況ではなく、主にニュースや記録映画によるものだったのかもしれません。それでも懐かしい思い出であることに違いはありません。