東日本大震災の体験についてはこのブログでも何度か取り上げました(2019/7/29、2019/9/24、2019/9/28、2020/3/11)。
今日10年目を迎えました。
当時、私は茨城にいました。地震発生から2日間、病院に泊まり込みました。福島第1原発事故も起き、固唾を飲んで推移を見守りました。
決して忘れてはいけない体験だと感じました。
2日ぶりに帰宅した直後から当時の新聞を保存することにしました。
最初は毎日の新聞、その後、節目ごとに新聞を残しました。1ヶ月後、半年後、1年後、2年後、3年後と新聞を保存していきました。スクラップブックがパンパンに膨れたため、震災5年を機に収集を終えました。
震災10年目の前夜、そのスクラップブックを書棚から出して当時を思い起こしました。2年前、茨城から埼玉に引っ越すときほぼ全ての書類を捨てました。しかし、このスクラップブックは残しました。
久しぶりにページをめくり、決して忘れてはいけない体験だとあらためて感じました。
震災2ヶ月後に地元新聞の取材を受けた記事が出てきました。
見出しは「救いだった平日の午後」。
「地震が真冬の休日の夜間に起き直下型だったら、どうなっていただろう」という私の疑問を載せてもらいました。「(最悪を)どこまで想定すべきかは分からない。普段からの医療をしっかりやる。それしかない」。
この気持ちは今も変わりません。
「真冬の休日の夜間の直下型」に対しては、どれほどの対策をとっても不十分なはずです。各個人が普段培ったベストを尽くせばよい、というのがあの時も、今も考えることです。