梅毒の流行

毎週、地元の大宮医師会から感染症サーベイランス(週報)が届きます。さいたま市の定点把握対象疾患(主に小児科施設からの感染性胃腸炎、突発性発疹、水痘など)と埼玉県の全数把握対象疾患*の動向を見ることができます(図1)。
*1類(エボラ出血熱・ペスト・ラッサ熱など)、2類(ポリオ・結核・ジフテリア・MERS・SARSなど)、3類(コレラ・細菌性赤痢・腸管出血性大腸菌感染症・腸チフス・パラチフス)、4類(E型肝炎・A型肝炎・エキノコッカス症・オウム病・サル痘・つつが虫病・デング熱・発疹チフス・マラリア・レジオネラ症など)、5類の一部(アメーバ赤痢・E型/A型以外のウイルス性肝炎・カルバペネム耐性腸内細菌科 [CRE]感染症・クロイツフェルト=ヤコブ病・水痘・梅毒・破傷風・百日咳・風疹・麻疹・薬剤耐性アシネトバクター [MDRA]感染症など)。

現在、感染症と言えば新型コロナに目が奪われるため、他の感染症への注意がおろそかになりがちです。情報のアンテナを張っておくのにこの週報は役に立ちます。
昨年から目につくようになったのが梅毒の多さです。埼玉県だけでも毎週10名前後の報告があります。

今年初め、国立感染症研究所は2021年の梅毒の届出数が速報値で7800人余、過去最高になったと報告していました。ところが、今年は6月末までの半年間で5283人だとのことです*。
*https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/202207/575774.html
新型コロナ感染症とともに梅毒が流行していることに注意しなければなりません。

梅毒はスピロヘータ科の細菌の1つ、トレポネーマ・パリドゥムによる感染症です。スピロヘータとトレポネーマはそれぞれラテン語(螺旋状の剛毛)とギリシャ語(螺旋状のヒモ)による造語で、「螺旋状」が共通しています。活発な回転運動をして組織に侵入するとされます。
パリドゥムは英語のpallid、paleです。Paleは色の薄さを表します。国立感染症研究所の説明*では「青く光るから」とされ、今の日本で広く引用されています。
* https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/465-syphilis-info.html
しかしこの説明には疑問があります。そもそもpaleに青の意味はありません。パリドゥムあるいはパリダという語は1905年ごろ梅毒菌に使われています。当時の意味を調べると*、通常の細菌染色法では容易に染まってこないことが強調されています。Pallid、paleは「染色されない」ということからきているように思います。
* https://www.journals.uchicago.edu/doi/pdf/10.1086/278945

私が医学生のころ、梅毒の病期は第1期(感染数週間の局所のしこり、痛みのない皮膚潰瘍、リンパ節腫大)、第2期(感染数ヶ月後からの皮膚・粘膜の赤い発疹 [バラ疹、ただし痒みなし]、発熱、咽頭痛、疲労感など)、第3期(感染数年後の全身臓器障害)、第4期(晩期梅毒。感染10年後からの重篤な心臓血管病変・脳神経病変など)に分かれていました。

その後、神経梅毒は1期や2期でも生じること、2期以降の潜伏期でも2期にまた戻ることがあること、感染力を持つ潜伏梅毒の存在が重要なこと、などから、第1期梅毒、第2期梅毒、早期潜伏梅毒(感染後1年以内)、後期潜伏梅毒(感染1年以上)、第3期梅毒に分類されるようになりました(図2、梅毒診療ガイド2018より引用*)。
* http://jssti.umin.jp/pdf/syphilis-medical_guide.pdf

国立感染症研究所の解説では、第1期と第2期とを合わせて早期顕症梅毒と呼び、第1期を早期顕症I期、第2期を早期顕症II期としています。国立感染症研究所は梅毒診療ガイド2018と同じく早期潜伏梅毒・後期潜伏梅毒の用語を使っていますが、早期と後期とを一緒にして独自に「潜伏梅毒」として括っています。なお前述の感染症サーベイランス(週報)(図1)で「無症状病原体保有者」となっているのは、血清検査で陽性となり症状がないものを言い、厚労省の届出基準*に則っています。おそらく国立感染症研究所の「潜伏梅毒」に一致するのではないかと思います。
*https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou11/01-05-11.html
このように梅毒の分類はかなり複雑化しました。
それにしても、算用数字とローマ数字の違いなど、学会(性感染症学会)と国立感染症研究所(≒厚労省・行政)とで用語に微妙な差があるのが気になるところです。

うるさいことを言わずに先に進みます。

実は私自身、梅毒患者を診たことがありません。医学生時代に習っただけでした。その後、さまざまな医学雑誌や医学書、講演会で折に触れ梅毒の勉強をしてきました。なぜ関心があるかというと、梅毒は第2期以降になると多彩な症状が出てくるために誤診しやすいと言われているからです。他のいろいろな疾患を真似るという意味で、“the great imitator”(ザ・グレート・イミテーター、模倣の名人・百面相)というニックネームが付けられているほどです。
第1期のときはおそらく泌尿器科や婦人科、皮膚科を受診すると思いますが、受診せずに治療を受けなくても局所の症状は自然と消えてしまいます。その数ヶ月後以降、あるいは数年後以降になると前述のように全身のさまざまな症状が出てきます。例えば不明熱、関節痛、疲労感のある患者を診て、梅毒という正診にたどりつけるか。自信がないので勉強しておこうと思うのです。

梅毒でさらに重要なことは、的確に診断さえすれば根治の方法があるということです。ペニシリンによる治療です。世界標準は持続性ペニシリン製剤(ベンジルペニシリンベンザチン水和物)の筋肉注射1回投与です。日本では長年、この製剤が使えず経口のペニシリン系抗菌薬を処方していましたが、今年1月にようやく保険収載され使えるようになりました。ただし、注射部位の組織が壊死するニコラウ症候群が稀に起こるとされます。内服でも注射でも起こる副反応としてヤーリッシュ・ヘルクスハイマー反応(発熱、妊婦では早産・流産)が知られています。専門家による診療が重要だと思います。

梅毒は性風俗店で感染することが多いようですが、その従事歴・利用歴がなくても感染する例が増えていると言います。家庭内での感染も出始めているとのことです。NHKの生活情報ブログ(2021/2/6)*では、新しい相手と交際を始めるときや結婚するときなどでの「節目検診」を勧めています。
* https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/1000/313913.html
妊娠中の女性が感染すると死産や流産のリスクが高くなるほか、出生後に児の発達障害や知的障害が出る恐れもあるとされます。

梅毒には、残念ながらワクチンは今のところありません。
若者だけでなく一般の人にも、予防と症状、診断、治療について啓発していく必要があると思います。

図1.

 

図2.