江戸時代のグーグルマップ

江戸時代後期に長久保赤水(1717-1801)が作成した地図のことです。赤水は、伊能忠敬が実際に測量して正確な地図を著した40年以上前に、当時としては画期的な精度で蝦夷地以外の日本地図(改正日本輿地路程全図(赤水図))を完成させ、刊行しました。伊能図が国家機密であったのに対し、赤水図は庶民が買える地図でした。名所旧跡が表示されていて、当時爆発的に売れたとのことです。海外にも多数渡りました。

本ブログ(2021/4/13)で取り上げたのが縁で、資料がたくさん集まりました。とくに長久保赤水顕彰会(茨城県高萩市)の佐川春久会長にお世話になりました。赤水図第2版(寛政3年、1791年)の復刻版も入手できました(図参照、メガネを置いていますのでおよその大きさが分かると思います)。24分の1に折り畳めば今のA4の一回り小さめのサイズになり、ハンディとなって旅のおともになりました。

赤水は実測なしでこの日本地図を作りました。完成に35年かかったと言われます。測量もせずにどのようにして作ったのでしょうか。
諸国の地図を取り寄せ、方角や距離、地形を細かく調整して作ったと言われています。自身が旅したのは松尾芭蕉とほぼ同じ東北・越後の旅と、京都・大坂・長崎への一度だけの旅だったそうです。あとはひたすら情報を集め、訂正を重ねていきました。赤水の死後も版を重ねました。
もちろん、赤水図には前例がありました。諸藩の地図を繋いだそれなりの日本地図がありました。しかし、赤水のすごいところは、自分が旅するときは磁石を持ち歩いて方位を確かめ、細かな地形は旅人から情報を仕入れて書き込んだとされる点です。そのため伊能図に劣らぬ正確性を持っていたのです。
まさに情報収集によってなされた偉業だと言えます。情報の時代である現代にも通じる話だと思います。

私が関係してきた群馬、栃木、茨城、ちばらき、埼玉の部分を復刻版で拡大してみました。北関東の西隣で浅間が噴火しています。厩橋(前橋)、徳二郎(徳次郎とくじら)、シホコ(塩子)、犬坊埼(犬吠埼)、三沼(見沼)という地名から実際の景色が蘇ります。浦和の西にある「池」は別所沼でしょうか。坂東太郎川(利根川)は東京湾に注ぐことになっています。紫色の線は吉田松陰(1830-1859)が赤水図を持って旅した道(東北遊日記1851-1852)です。
赤水はまた、中国や西洋の書物を参考にして、中国全図(大清広輿図)、世界地図(地球万国山海輿地全図説)も描きました。
赤水の地図は江戸時代のグーグルマップです。
世の中を俯瞰するのに大いに役立ったと思われます。赤水ばかりではありません。吉田松陰しかり。手にした者、遠目で見た者も皆、世の中のこと、世界のことを考えたと思います。