水泳の池江璃花子選手がプールに入っている写真が昨日の新聞に載っていました。白血病の治療後にプールで泳ぐなど、かつては信じられませんでした。その写真を見て、昔を思い出しました。
医学部6年生のとき、私は左の肺が突然しぼんでしまう自然気胸のために緊急入院しました。大学病院内科病棟の8人部屋に1ヶ月いました。当時の患者さんは今ほど高齢ではなかったとはいえ、私が24歳で最年少でした。他の7人は30歳代から50歳代だったように記憶しています。そこの内科の特徴として心臓病と肺疾患が多かったのですが、1人だけ白血病の40歳代の方がいました。明るい性格のユーモア溢れる男性でした。
冬だったので外は都内でも厳しい寒さなのですが、院内は暖房がよく効いていました。加湿器などなかった時代です。夜になると暑苦しく空気が乾き切っていました。寝苦しかったのを覚えています。白血病の彼は、「水を撒く」と言って毎晩、皆のベッド周りの床に洗面器の水を巻き続けました。
こんなこともありました。彼だけほぼ毎日のように採血されていました。担当の研修医が採血に訪れます。当時の大学病院では看護師(当時は看護婦)は採血をしませんでした。「採血は看護婦の仕事ではない、医師の仕事である」と婦長は公言して憚りませんでした。その研修医は採血が上手ではなく、刺し直すことが度々でした。ようやく採血を終えて研修医が部屋を出て行くと、「下手くそなんだよなあ」と大きな声を出すのが彼の常でした。ところが、同じ研修医が上級医と一緒に回診に来て「〇〇さん、変わりはないですか」と尋ねると、満面の笑みで「調子いいですよ」と答えていたものでした。
私は退院し、再び講義と実習に出るようになりました。
ある日の臨床講義は白血病がテーマでした。実際の症例が提示されました。年齢と症状を聞いて「彼」だとすぐに分かりました。講義の最後まで来たとき、亡くなったことを知りました。強いショックを受けました。わずか3ヶ月の経過だったのです。
やがて私は卒業し、同じ大学病院で1年間研修医として働きました。残った6人の仲間を追い続けました。残念ながらその1年の間に、全員亡くなってしまいました。生き残ったのは結局、私だけ。医学の無力と命の儚さを感じました。
47年前のことです。隔世の感があります。
池江選手にエールを送りたいと思います。