療養や看取りの患者さんを多く受け持つようになってから気づいたことがあります。親族の関わりのありがたさです。
配偶者や子どもなど家族がいれば、色々な意味で関わってくれます。キーパースンとして病状説明を受け同意書にサインする役割を担ってもらえます。
そうした家族がいない場合、問題を感じます。
配偶者も子どももいない、子どもはいても縁を切っている。御本人は意思表示できない。さあ、どうしよう。悩むことが少なくありません。
そのようなとき、甥や姪、あるいは兄弟姉妹がキーパースンの名乗りを上げ、しかも遠方から何度も訪ねに来てくださる例があります。ご自分の家庭があるのにどうしてここまで面倒をみてくれるのだろうか。状況から財産云々はあり得ません。
我が身を思うと、叔父や叔母、兄弟が病気をしたとき、お見舞いに一、二度行くことはあってもキーパースンの名乗りを上げることはないはずです。時間がない、他に誰かいるだろう、という言い訳が先立ちますが、そもそもそこまでの関わりを持とうと思いません。
それを思えば、家族とは必ずしも言えない親族の深い関わりは不思議であり、同時に、医療者としては感謝するばかりです。病床であれ、電話の向こうであれ、そばにいてくれるだけで私たちも患者さんも落ち着きます。
認知症で寝たきりの高齢女性がいます。キーパースンは姪のかたです。しかも遠方からよく来られます。あるとき聞いてみました。
「昔、叔母様のお世話になったのですか」。
「いえ。他にいませんから・・・」。
言葉少なく話されました。
世の中には理屈ではない何かがあるようです。