生涯学習

今週水曜日の午後、水戸市で茨城県若手リハビリテーション専門職卒後研修の講義を1コマ担当してきました。この講義の要請は、日本理学療法士協会の斉藤秀之会長からでした。茨城県立医療大学の改革プラン検討委員会で一緒だった御縁で依頼を受けました。

私の担当は「生涯学習総論」(オンライン講義演習)。生涯学習は医療職に就く者すべてが実践すべきものです。したがって「総論」は至ってシンプルで、「生涯勉強です」と伝えればよいだけです。しかし、それでは講義として面白くありません。
斉藤会長からは「自伝を述べればよい」との指示をいただいていました。タイトルは「生涯学習総論〜自分の歩んでいる道〜」としました。「歩んだ道」という過去形ではなく、「歩んできた道」という現在完了形でもなく、「歩んでいる道」という現在進行形にしました。

医師駆け出しの頃に読んだ3冊の単著本が進路を決めたことをまず話しました。
単著本とは、共著者なしに1人で仕上げた専門書のことです。1人で広範な領域を扱うのは並大抵のことではありません。しかも医療は日進月歩です。改訂を定期的に繰り返さなければなりません。単著本では1つの哲学が全体を貫いています。一字一句丁寧に読むと著者の数十年の経験と叡智が自分に伝わってくるのを感じました。
秋山 洋「手術の基本手技」(1975)では「場の三次元化、場の保存、左手の重要性、生きた解剖学の実践」、C.D. Haagensen(ハーゲンセン)「Diseases of the Breast(乳腺の疾患)」(1971)では「身体所見の取り方、ミクロレベルの疾患の見方」、J.C. Goligher(ゴリガー)「Surgery of the Colon, Rectum and Anus(大腸肛門の外科)」(1975)では「解剖と病理に基づく手術、機器へのこだわり、緻密な計画」を学びました。特にハーゲンセンに深い感銘を受け、829ページの本を2度精読しました。

次に病理解剖の経験を話しました。専門とした外科を一旦離れ、膵がんリンパ節転移に関する研究テーマを追求するかたわら、消化器以外にも脳神経・循環器・呼吸器などの疾患をマクロとミクロの病理解剖から学びました。これが後年、診療の幅を広げるのに大いに役立ったことを述べました。

医療では、基本領域をカバーするジェネラリストと専門的なスペシャリストとの融合が個人としても、また病院としても重要ではないか、そのためには「回り道」を厭わないことが大切ではないか、と提案しました。ジェネラリストとスペシャリストとを合わせた「ジェネシャリスト」(神戸大学岩田健太郎教授の造語)の概念も紹介しました。日本理学療法士協会は「認定・専門理学療法士の役割」の中で「ジェネラルと専門性の細分化進化の同時進行をキャリアパスとしていく」と明言しています。真っ当な考えだとコメントしました。

ひとりの認知症患者さんの病歴を紹介しました。最初の5年、肥満、急性腹症、緊急入院、手術、幻覚、錯乱、投薬、身体抑制、廃用などを経験しました。その後、投薬なしで自立できるようになりました。その患者さんが元気になって、朗らかに歌う唱歌「美しき天然」の録音が残っています。皆にも聴いてもらいました。認知症には薬ではない、心のある対応だということを伝えたかったのです。
さらに5年経過したとき、突然の別れがありました。
「生涯学習」の講義でこの10年を紹介してもよいでしょうか、とご家族に尋ねたところ、「少しでも多職種のかたがたにお役にたつのであれば」、「天国で喜んでくれると思います」とのご快諾を頂き、今回の発表となりました。

最後にコロナ禍の問題を取り上げました。昨年春の未知との遭遇から現在まで自分が取り組んできたことを話しました。ひたすら勉強の毎日です。途方に暮れても、データの集積と知見の収集によって光明は見えてくることを伝えました。科学的かつ批判的に物事を観察しながら医療安全と患者の生命・QOLとのバランスを探っていく重要性を説いたつもりです。

急性期のコロナ患者のリハビリテーションをどうしたらよいか。現在、私自身が悩んでいることです。今の私の考えを述べましたが、聴講生自身はどう考えるかを問いました。演習としてレポートの提出をお願いしました。「私の講義への批判も大歓迎」としました。
講義は準備の段階から勉強になります。終わったあともさらに多くの学びが得られます。