当院の1階エレベーターホールの壁にF100号の大きな静物画が掛かっています。説明には「寄贈 第23回日展(1991)「画室の一隅」 特選 小菅章雄」とあります。
丸い背もたれのある椅子が中央に描かれ、座面には本が3冊重なっています。下の厚い1冊は「MUSEO DEL PRA・・」の背表紙が垣間見えます。スペインのプラド美術館の画集と思われます。床にも2冊の本が置かれています。緑の本にはRoland Oudot(ロラン・ウド)というフランスの画家(1897-1981)の名前がみえます。見開きになった2冊に画中画が1枚ずつ描かれています。いずれも小菅氏の色使いに似ていることからオリジナルの絵なのかもしれません。無造作に置かれたテーブルクロス、置き時計、ランプ、酒の瓶、絵筆、丸まったキャンバスなどは形と色、配置のバランスが絶妙です。壁と床は、ためらいのない水平線で区切られています。壁は青系、床は赤系で濃淡と彩度の交じりが見られます。空と大地を背景にした室内のようにも見えます。
私は赴任以来、気になっていました。小菅章雄氏とはどのような画家なのか、この絵はどうしてここにあるのか。
ベテラン職員の情報から、小菅章雄氏は2009年に当院で亡くなられていますが奥様は今も通院されていることが分かりました。
先々週、奥様からお話を伺いました。
小菅章雄氏は1934年埼玉県秩父町の生まれ。奥様も秩父町出身で2人は高校の同級生だったそうです。浦和に来てから縁があって結婚されたとのことです。
小菅氏は大学を出られたあと教員となりました。中学校で美術を教えながら絵を描いていました。1983年49歳で日展の特選を受賞しました。特選になると翌年は無監査で出品できます。ただし1年限りです。特選を2回とると「出品委嘱」となり、毎年無鑑査で日展に出すことができるようになります。
小菅章雄氏は2回目の特選を目指しました。53歳で教員を辞め画業1本に絞りました。「絵の力で家族を食べさせたい」が口癖だったそうです。そして2回目の特選が1991年「画室の一隅」でした。
その絵を小菅氏は当院に寄贈されたのです。奥様によれば、入院中に「あの絵を持って来い」と言ったとのこと。思い出と思い入れの詰まった絵であったはずです。
奥様は先週、アルバムを4冊届けてくださいました。全て小菅氏ご自身が編集されています。個展を記録した中に、「画室の一隅」の前でのご夫妻の写真を見つけました。1994/5/31-6/5銀座アートギャラリーでの第5回小菅章雄展の1コマです。
ご夫妻で参加されたアメリカ旅行(1992/6/25-7/1)の紀行文+写真集のアルバムもありました。端正な文字で旅行の詳細を記しています。このアルバムの後半に、ニューヨークの国立近代美術館を訪れたときの写真と解説が貼ってありました。「画室の一隅」の絵葉書とともに次の記述が添えられています。
「最後に——
4階の家具の陳列室に、私をハッとさせる「いす」があった。私が昨年の日展で特選を受賞した作品の中心に据えた「いす」と、全く同じである。
私が描いた「いす」の原形なのであろう。興奮のあまり、作者名をメモしなかったのは残念である。私は、浦和の伊勢丹で購入したが、自分の審美眼に、少なからず自信を持った。」
当院にはもう1枚、小菅章雄氏の絵があります。「めざめ」という愛らしい子どもの小作品です(リハビリ訓練室に掛けられています)。水彩のような油絵です。奥様によると我が子だとのこと。小菅氏の人物画はとても珍しいとされます。
章雄氏が亡くなられたあと、奥様は自宅に残された作品のほとんどを秩父美術館に寄贈されました。
秩父美術館に問い合わせると、小菅章雄氏の作品は12/12現在、中作品の静物画が1点展示されているとのことでした。