義務教育についての私見

新型コロナ禍を受けて、9月入学が話題になりました。
結局、見送りとなりましたが、政府からは5歳入学の話題が投げかけられています(図:日本経済新聞2020/6/3記事より)。私は義務教育の年齢引き下げに賛成する立場です。ただし、9月入学の論点から来るのではなく、教育の根幹に関わる視点からです。

学校での医療教育導入を目指して、ある地方都市の教育委員会に入れていただきました。
ゆとり教育の反省から、今の義務教育のカリキュラムはかなりタイトになっています。小学校高学年から英語が必修となりました。余裕があった総合学習の時間は少なくなりました。その中で医療教育に時間を割くことは相当の困難を伴うものでした。
一方、国はがん教育の必要性を認め、中学校では新学習指導要領に「がん教育」が明記され、2021年度から全面実施されます。高校では2022年度入学生から年次進行で実施とのことです。こうした流れは望ましいと感じますが、がんは医療の分野の一部でしかありません。医療をもっと幅広く扱うべきだと私は思います。
そうなると、余裕のなくなったカリキュラムの中で医療教育をどう拡充すればよいのか、悩ましい問題です。

そうした中、義務教育学校の開設が都会でも地方でも進みました。義務教育学校は、小学校と中学校とを1つの学校として統一するものです(小中一貫)。従来の中学1年生は義務教育学校7年生になります。9年生で義務教育を終えるわけです。
なぜ全国的に一定の評価を得て義務教育学校が導入されたのでしょうか。
教育委員としてこの問題を質したとき得られた答は、「中1ギャップ」でした。小学校の最高学年である6年生を卒業したあと、中学校の1年生になったときの大きな変化が不登校を含め様々な問題を引き起こすとされます。また成長・成熟が早まっていることから、思春期の問題は小中一貫教育の中で考えなければならないという議論が妥当性を持つようになりました。こうした議論を受け、小中一貫の義務教育学校が続々と開校しました。
ところが、一方では、大学進学に特化した中高一貫を進める自治体も少なくありません。「中1ギャップ」の問題から小中一貫を進めておきながら、中高一貫も進めるという矛盾がどうしても腑に落ちません。
さらに、幼児教育の重要性も主張されてきました。アメリカでの「エビデンス」に基づき、幼児教育を受けることにより成人してからの社会貢献度が促進されるということが文部科学省から盛んに言われるようになりました。ところが幼児教育は義務教育になっていません。幼稚園もあれば保育園もある。保育園は自治体からの補助が得られる認可保育園があれば、そうではない無認可もあります。当院の職員用の保育施設は保育園でもありません。保育室です。国は幼児教育の重要性を言いながら、統一性のない幼児教育制度となっています。そもそも幼児教育は教育委員会の管轄から福祉担当事業に移されてしまいました。大いなる矛盾です。

教育は国を作る基本だと言われます。教育はどうあるべきか、国も自治体も保護者も国民も、真剣に考えるべきです。ある側面を捉えて、学校はこうあるべきだという主張がありながら、他方、異なる視点でこうもあるべきだと論じているのが今の日本です。

ならば、と私は提案しました。
これからの国づくりが教育にあるのであれば、また、幼児教育が文科省の言うように重要であるならば、また、身体的早熟の傾向から生じる問題があるのであれば、4歳から義務教育にしませんか、と。
「中1ギャップ」の問題に対しては、その前の10歳で区切りをつけたらどうですか。ドイツの小学校は10歳が最高学年ですからそれに倣えばどうですか。つまり、4歳から10歳までの6年間を小学校としたらどうですか。高校はすでに実質的な義務教育になっています。ならば、11歳から18歳までを義務高等学校とすればよいのではないですか。要するに、義務教育を4歳から18歳までとするのです。前半6年間を小学校、後半8年間を高等学校とするのです。
こうすれば幼児教育・早熟・中1ギャップ・小中一貫・中高一貫の問題が全て氷解します。これからの国づくりは、教育制度改革から始めるべきではないでしょうか。

地方都市の教育委員会でこうした意見を述べても、焼け石に水のようにあっけなく蒸散してしまいました。
しかし、そうあるべきではないかと思い続けています。