第6回日本メディカルイラストレーション学術集会が3月13日オンラインで開かれました。集会長は川崎医科大学病理学の森谷卓也教授でした。
開会に先立ち「認定イラストレーター」取得のための認定講習会がありました。内容は著作権に関してでした。演者は川崎医療福祉大学医療福祉デザイン学科特任教授の平野 聖先生。
メディカルイラストレーターからの質問に答える形で進められました。イラストレーターが切実に感じるのは「既存のアートをどの程度改変すると著作権侵
害に該当するか?」です。
平野先生は芸術と法学の大学院でそれぞれ博士・修士課程を修めています。
著作権侵害の問題は音楽の分野で考えると分かりやすい、とのことでした。2つの似たメロディの曲を比較するとよいというのです。実際の楽曲を講演で流すと著作権侵害に当たるため、視聴者がネットでその曲を聞くよう促しました。
最初に挙げたのは、モーニング娘「ラブマシーン」とショッキングブルー「ヴィーナス」。私には2つともメロディのメの字も出てきません。急いで新規ウィンドウを立ち上げ、検索して聴いてみると、似ていると言えば似ている、違うと言えば違う。平野先生はこう解説しました。「ラブマシーン」を作曲したのは、つんく。つんくは、「ヴィーナス」を真似たとはっきり話しているそうです。しかし、訴えられていません。だから問題ではない、というのです。
次に、かまやつひろし「どうにかなるさ」とハンク・ウイリアムズ「淋しき汽笛」。聞いてみると、そっくりです。かまやつひろしは堺正章に「『淋しき汽笛』を真似たの?」と聞かれ、「そうだよ」と答えたそうです。つまり模倣したことを堂々と認めました。しかし、これもハンク・ウイリアムズから訴えられていないので問題ない、とのことです。
もうひとつ。あがた森魚「赤色エレジー」と八洲秀章「あざみの唄」。「あざみの唄」は私も知っています。そこで「赤色エレジー」を聞くと、まさに同じ。一般の人から「あざみの唄」と同じメロディだと指摘されて、あがた森魚が誠意を示し「作詞あがた森魚、作曲八洲秀章」になったとのことです。あがた森魚は真似たつもりは全くないが、記憶の奥底で無意識に聞いていた可能性を認めたということのようです。
裁判になった最も有名な楽曲は、ジョージ・ハリソン「マイ・スウィート・ロード」とシフォンズ「He is so fine」です。売上はジョージが雲泥の差を付けたのですが、裁判の結果、ジョージは負けました。
ビートルズの別のメンバーだったポール・マッカートニーは、ジョージよりも慎重でした。ポールが「イエスタデー」を作曲したとき、どこかに似た曲があるかもしれないとして徹底的に調べたそうです。他にない、と確信してから発表したとされます。
結局、著作権侵害に当たるかどうかは創作者の考えひとつで決まるということのようです。それは他のアートにも当てはまる。それが平野先生の教えでした。
平野先生の講演の最後は、複製されるメディアの著作権についてでした。
デジタル映像の著作権には従来、決定的な確保策がありませんでした。電子署名も電子すかしも限界がありました。
最近この隘路を破ったのがNFTアートです。NFTとはNon-Fungible Tokenの略。日本語では非代替性トークン、電子証票などと訳されます。デジタル作品に対し唯一無二の証明を付与する方法として電子貨幣の技術(=ブロックチェーン)を応用したとのことです。すなわち、不特定多数の人々が管理する仕組みです。その仕組みはウイキペディアに似るとされます。
私には論文を盗用された経験があります。
本屋の医学書コーナーで近着の和文雑誌を立ち読みしているときでした。ある雑誌の表紙に書かれたタイトルの1つに目が止まりました。自分の研究テーマに関わっていたからです。
その論文を読み始めてびっくりしました。自分が1年ほど前に執筆した内容とほぼ同じだったからです。総説ですから全体の構造が似るのは仕方ありません。しかし、項目の設定だけでなく、多くの文章・図表が私の論文と同一でした。いくつもの文献から自分なりにまとめた数値も一致していました。引用文献のリストに私の英語の原著論文はあるものの1年前の私の日本語の総説は載っていません。
若かったのでしょう。頭に血が上りました。
相手はその分野の第一人者とされていた先生です。まさか、と思いました。出版社に抗議の手紙を書きました。まもなく「編集委員会で検討する」という返事をもらいました。しばらくして、本人から手紙が届きました。「大学院生に下書きをさせた、出来が良かったので採用した、申し訳ない」。最後にお詫びがありました。相手の論文に大学院生の名前はありません。権威者の単著論文でした。しかし、私はそれ以上言いませんでした。
相手の論文は今でも入手可能です。撤回されていません。
内容自体は間違っていません。科学の真理が広く行き渡ればよいではないか。当時、そう思った記憶があります。
「創作者が許せば著作権侵害に当たらない」。
私は甘すぎたかもしれません。
「不特定多数の人がオリジナルを判定する仕組みがあれば著作権の問題は生じない」。
確かにそうです。下に2つの論文の一部を挙げます。どちらも急性膵炎の成因を論じています。論文Aは私、論文Bは翌年発刊の相手のものです。オリジナルがどちらかは明らかです。
とは言え、AもBも一般医家向けの商業誌に載せた総説です。根拠となる出典はほとんど明示されていません。どっちもどっち、なのかもしれません。