3月までいた茨城県の被害が深刻です。ニュースに出た水戸市の冠水現場は私にとって馴染みの場所で、あまりの様変わりに胸が痛みました。同時に、水戸から奥の山の中にある大子町や、北茨城市の山間地のことが気になりました。埼玉で見るテレビニュースでは全くと言っていいほどこの地域のことが話題になっていませんでした。全国紙の茨城版、あるいは北関東版を読んでもニュースになっていませんでした。
医学生を連れての地域医療実習、看護師と一緒に回った僻地巡回診療が思い出されます。あそこは険しい山道だし、台風の被害が何もないとは思えなかったのですが、ともかくニュースになっていませんでした。「知らせがないのは良い知らせ。No news is good news.」と思っていました。

昨日、週1回の茨城県の県立病院の診療支援に行ってきました。地元紙の一面を見てびっくりしました。水郡線の鉄橋が2箇所で崩落。大子町の中心部は腰まで浸かる冠水。懇意にさせていただいた病院・医院のほぼ全てが床上浸水。目を疑う写真がそのあとの紙面に並んでいました。
記事には私より2歳上のS院長の言葉が載っていました。「どこから手を付けていいか分からない」、「14日からは当番医。できる限りの診療はしたい」。 大子町は人口1万8千人の小さな町ですが、高齢化率は40%超。救急患者は常に発生します。この町の救急搬送は町中の医療施設がまず応需します。応需率はほぼ100%です。常勤医師の総数20名前後、うち救急に当たるのは10名程度、平均年齢が70歳を超える体制での話です。町の病院で対応ができないときは数十km離れた町外への搬送となります。当番医とはその救急対応をする医師のことです。S院長自身、月に10回の当直をしています。
さいたま市の救急が大変と言われても、本当のところ大したことではないというのが本音です。その思いをさせてくれた原点の大子町が危機的状況だと知りました。
県立病院の職員に聞くと、14日(月)に病院のDMAT(災害医療支援チーム)が自発的に大子町の医療支援をしてきたとのこと。その車両は泥だらけでした。彼は私に大子町の写真を見せてくれました。地域密着の総合診療医の診察を医学生と一緒に見学した外来が変わり果てていました。透析患者が50km離れた水戸市内の病院に搬送される写真もありました。50kmと言っても高速道路はありません。久慈川の曲がりくねった川沿いの道を1時間半走らねばなりません。道路の橋は落ちていないのが救いです。
大子町の惨状を知ると、北茨城市の小川地区が急に心配になりました。今年3月まで週1回水曜日に1日がかりで僻地医療支援をしていた地域です。私は第2・4水曜日に行き、第1・3水曜日は別の医師が担当していました。運転手兼事務職員と看護師は毎週同道していました。小川地区は、車1台がやっと通れる渓谷を上り、落石注意・警笛鳴らせの標識が多数ある山道を行った先にある集落です。電線は木々の間を縫うように集落に届いているのです。運転手兼事務職員の携帯に電話をいれました。
「大丈夫ですか?」
「十数カ所で崖崩れが起きたけど、市が道路を応急的に処置してくれたおかげで今日(10月16日、水曜日)の僻地巡回診療は無事終えました。」
集落は一晩停電だったが、今は電気が来ているとのこと。私が2年間診ていた患者さんたちの現況も教えてくれました。皆無事で何よりでした。

今回の台風では被害があちこちから報告されています。被害が全国に及ぶと、ニュース映像は首都圏ないし中核都市から比較的簡単にアプローチできる地域のものでしかないことを思い知らされました。「知らせがないのは良い知らせ」では決してないのです。