来年春に運転免許証を更新します。後期高齢者(75歳以上)は認知機能検査が今年から義務化されました。免許更新の半年前になりましたので、先日その検査を受けました。16種類のイラストを見せられ、別の課題を終えたあと何の絵だったかを全部書き出せ、という問題がありました。全部は思い出せませんでしたが、ヒントの文章で思い出すことができました。同輩10人と一緒に試験を受け、全員合格だったようです。最後に渡された「認知機能検査結果通知書」によれば、合格の判定基準は総合点36点以上とのことです。満点が何点なのかはわかりませんが、相当低い点数でも合格になりそうです。
医師免許に更新はありません。医師も認知機能は年齢とともに衰えます。車の運転と同じく、あるいはそれ以上に命に関わる職業です。知識と技能、さらに人格のチェックが必要かもしれません。
話は50年以上前に遡ります。
大学紛争の影響で教養学部から医学部医学科への進学が遅れているときでした。ようやく進学の目処が立ち、久しぶりに実家に帰ってその報告をしました。父が珍しく1冊の本を勧めました。私が21歳、父は61歳でした。
「大外科医の悲劇〜胸部外科の創始者ザウエルブルッフの伝記」(原語ドイツ語、ユルゲン・トールワルド著、白石四郎訳、東京メディカル・センター出版部、1969)(下図、筆者蔵書)。
胸部外科の創始者が晩年、脳硬化(今の認知症)に冒され、悲劇を次々起こしていく実話です。73歳のとき、部下が切除不能と判断した腫瘍を不潔の素手で取り出し、血にまみれた指で肉片を自慢げに差し出す猟奇的な場面が描かれていました。患者はすぐに死んだと言います。こうしたエピソードが繰り返されました。
悲劇はなぜ防げなかったのか。著者は医療界の持つ問題点に言及していきます。同時に、医師が医師であり続けることの難しさも指摘していました。
私自身、人生の終盤を意識するようになってから、この本を思い出すようになりました。父は92歳のとき「老令に相成り」として廃業しました。認知機能が不可逆的になる前に適切な判断をしました。問題は適切な判断ができなくなっている場合です。悲劇を繰り返さないためにどうしたらよいか。
大外科医の場合、周りがいくら説得しても駄目でした。解雇しても別の場所で同様の悲劇を引き起こしました。
悲劇はひとつでも起きれば不幸です。起きてからの拘束では遅すぎます。
悲劇の予防という点で言えば、やはり認知機能検査の義務化だと思います。義務化ならば強制力を持たせることができます。合格基準は運転免許よりも高めがよいでしょう。しかし、合格すれば大丈夫とも言えないのが難点ではあります。75歳未満でも認知機能低下が著明な場合もあり得ます。それでもまず一歩を、ということです。
先輩がた、御同輩、若い先生がた、どうですか。
私は自分のためを思っても賛成します。もちろん、患者のためにもなります。