アメリカ医師会雑誌(JAMA)2021/4/28号に認知症専門医(脳神経内科医)のダニエル・ギブス医師の体験談が載っていました。
医師として、患者としてのギブス医師の言葉と行動は、日本の私たちにとっても示唆に富むものと考えます。一部ですが翻訳を試みました。前半は短くまとめ、後半の問答を少し詳しく紹介します。
ギブス医師は現在69歳。50歳代半ばから匂いを感じなくなってきたそうです。当初パーキンソン病の初期症状かと思っていましたが、60歳のときに自分のLRRK2(遺伝性パーキンソン病関連遺伝子)とAPOE4(アルツハイマー病高リスク遺伝子)を調べたところ、LRRK2は陰性、APOE4が陽性(ホモ接合)とわかりました。アルツハイマー病の家族歴がなかったためギブス医師は衝撃を受けました(両親はともに早くにがんで死去)。
Q1.アルツハイマー病が早期に診断されたことの意義は何か?
A1.以前はアルツハイマー病の診断を早期にする意味はないと考えていた。治療薬が何もなかったからだ。アルツハイマー病が疑われても診断はできるだけ遅らせたほうがよいと考えていた。しかし、今は認知能力が落ちる前に対処できる可能性が出てきた。生活習慣の改善で認知症の進行を遅らせる知見も得られている。アルツハイマーと言えばナーシングホームにいる晩期患者のことばかりだが、認知機能が損なわれる前の超早期のことを言うようになって欲しいと強く願っている。超早期こそ介入の効果が出るはずだ。
Q2.アルツハイマー病のリスクを持つ人に対して望むことは何か?
A2.議論のあるところだが、研究に参加してもよいという人は、アミロイドβやタウ蛋白のPETを受けて早期アルツハイマー病の診断になったならば、新規薬剤や生活習慣改善の効果をみる治験に参加してもよいのではないか。数年すればPETよりも安価な血液検査で脳内のアミロイドβやタウ蛋白を調べられるようになる。しかし、ハイリスクの全員に検査を受けてもらいたいとは思わない。家族歴からハイリスクだとわかっている人は、生活習慣の改善をできるだけ早期(40歳代〜50歳代)に始めておく必要がある。この年代は働き盛りで生活習慣の改善はそう簡単ではないが、生活習慣の改善によって心臓病や高血圧、糖尿病も同時にリスクを下げられることを知るべきだ。まずは食事と運動が大切。地中海食などの野菜中心の食事と適度なエアロビクス(有酸素運動)を心がけて欲しい。
Q3.アルツハイマー病ではないかとわかってから、あなたは生活習慣をどのように変えたのか?
A3.認知機能低下が起きる前の2013年に61歳で引退した。判断能力がすぐにでも低下するのではないかと感じたので、患者の治療には関わらないことにした。患者の安全を脅かしてはならないからだ。1日1万歩を目指し、山道を犬と散歩している。地中海食の効果については運動ほどのデータはないが、地中海食の変法であるMIND食(ベリーやナッツなどフラバノールの多い食事)はアルツハイマー病リスクの低減にはよいと思って摂っている。社会的な活動に関わることがリスク低減になることはわかっていても、アルツハイマー病では初期の段階でもなかなか難しいものである。私も相当の努力をして人と話したり会ったりしている。新型コロナのパンデミックで人と会うのが難しくなった。その点、2回のワクチンが打てたことを喜んでいる。知的活動に関わることについてはさまざまな意見があるが、学び続けることが大切だと思う。脳内シナプスの新たな形成には単なる記憶想起よりも新しく学習するのがよい。クロスワードパズルをたくさんやればよいという人がいるが、単純なのは記憶力向上に必ずしも役立たない。私はニューヨークタイムズ紙オンラインのクロスワードパズルに毎日挑戦している。週末になると(永井註:金・土・日のパズルは膨大かつ難しくなるらしい)大変になるが、新しい単語は必ず調べて覚えるようにしている。
最後に大事なことは睡眠だ。睡眠中にはGリンパ系(永井註:2019/6/10の本ブログ参照)によってアミロイドなどの中毒物質を洗い流してくれる。数年前この事実が知られると、マスコミは冗談で「洗脳」と呼んでいた。深い睡眠期であるノンレム睡眠のときにこの現象は起こるとされる。少なくとも7時間半の睡眠が望ましいので、毎晩8時間の睡眠を心がけている。ただしアルツハイマー病の患者は不眠の問題を抱えることが多く、自分もときに不眠になる。
Q4.「医師は患者として最悪」とよく言われる。認知症患者の治療にあたっていたのであれば病気の先が読めてしまい、患者になることが難しかったのではないか?
A4.私は脳神経科学者として自分の病気を客観的、理性的に見ることができる。それがコーピング(ストレス対応)にもなっている。自分の脳画像を全て見てきたが、それは一歩下がって別の面から自分自身を観察することになる。怖いことではない。
例を挙げよう。2015年、自分に認知障害があると感じていたとき、臨床研究の一環としてアミロイドPETを初めて受け、その画像が20-30名の医師・研究者による検討会で開示された。すると、自分の脳の嗅覚野にアミロイドが蓄積しているのが直ぐにわかった。そのとき自分が思ったのは、「素晴らしい」だった。他の人もそう思った。なぜなら、PETでこうした所見を認めたという報告がそれまでなかったからだ。そのとき、私は科学者の頭になっていたのである。そのおかげで、自分が将来アルツハイマー病を患うという重大な事実はどうでもよくなり、結果的に癒されたのだ。
Q5.あなたは、いくつもの臨床研究に登録している。なぜそのような行動をとるのか?
A5.アルツハイマー病の治療に結びつけられることは速やかに全て行おうと思っている。私自身が直接恩恵を受ける可能性はほとんどないのはわかっている。が、新しい治療法の発見につながる可能性があれば全て試みたい。今まで5つの治験に参加してきた。その1つで重篤な副反応が生じ集中治療室に数日入ることになったが完全に回復した。よい経験だった(永井註:インタビュー記事の最初の解説で、ギブス医師はアルツハイマー病のモノクローナル抗体による治験で高血圧性脳症、脳内出血を発症したことが書かれている。回復後、その症例報告の共同執筆者に名を連ねた)。
Q6.「アルツハイマー病を治療する立場」から「アルツハイマー病と共に生きる立場」になった自身の経験を本として出版された。そのタイトル「A Tattoo on My Brain(わが脳にタトゥーあり)」はどういう意味か?
A6.タイトルは執筆を始める前に思いついた。タトゥーには2つの意味がある。1つは文字通りのタトゥー。治験の1つに参加して脳内出血を起こした。微小な出血だったので後遺症はなく、脳腫脹もきれいに消失した。ただし出血のわずかな跡がヘモジデリンという鉄色素となって脳内に今も残っている。ヘモジデリンは皮膚のタトゥーに使われるインクとほぼ同じなのだよ。もう1つの意味は比喩的なものである。私には皮膚のタトゥーはないが、人のタトゥーを見ると、これは一種のカミングアウトだと考える。「自分は誰か」を表現しているのだと思う。皆に見せたり、ときに隠したりする。私の場合もカミングアウトのようなものだ。アルツハイマー病に対してできることがあるという希望を託しているのだ。負のレッテルを剥がし、アルツハイマー病についてもっと自由に語り合い、病を受け入れて、堂々と取り組もうではないか。