日本リハビリテーション医学会の和文誌「リハビリテーション医学」2020年10月号は「障害受容」を特集していました。
リハビリテーション初学者の私は「障害受容」という言葉を聞くことがありませんでした。
特集の巻頭言によれば「最近、障害受容という用語を目にすることが少なくなりました」。同特集の中で田島明子氏は20年以上前のこととして次のエピソードを紹介しています。
「あるとき会議の中で『〇〇さんは障害受容ができておらず、一般就労にこだわっている』という発言があり、周囲も『それは困りましたね』と納得していた。『〇〇さんは、障害があるのに一般就労をしたいと思っており、あきらめが悪い』というニュアンスに聞こえた筆者は違和感を覚えた。『障害受容』という言葉を使い、自分たちの支援の限界を正当化しているように感じたからである。」
田島氏は「障害受容」という言葉について最近の使用状況を調べました(2019年12月〜2020年2月)。13名の作業療法士(勤務年数1-19年、平均9.3年)への調査では「全員が使用していない」とのことでした。ただし4人は学生時代や若い頃に使っていたとのこと。それがなぜ使わなくなったかの理由を聞くと、「疑問に思うようになった」、「本当の気持を考えていないという気づきがあった」、「この言葉が本当によいのかという議論があった」等の答があったそうです。
リハビリテーション医学の大御所・上田 敏(さとし)氏は同特集への特別寄稿「『障害の受容』再論-誤解を解き、将来を考える-」で、こうした使い方(悩む患者を前にして「『障害の受容』ができていない」と、受容しないのは患者が悪いかのように非難する態度)は概念の誤用・悪用であると断じています。「障害の受容」は、1980年の自身の論文を引用して次のように定義しています。
「障害の受容とはあきらめでもなく居直りでもなく、障害に対する価値観(感)の転換であり障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずることである」。
特集を企画した先崎(せんざき)章氏は副題―本特集企画に込めた思いも含めて―の論証の最後に「上田が指摘するように、障害受容の概念を保持し、あるいは概念を明らかにしようと努力し、臨床や教育の場で普及、あるいは洗練されたものにすることを続ける努力と、議論する場と機会、そして後進の育成が必要である」と結んでいます。
私なりに解釈すれば、「障害受容」はネガティブではなくポジティブに志向するのが本来の意味だということだと思います。私は「足し算の考え方」を勧めたことがあります(2020/7/1ブログ)。これに通じると思いました。
このように「障害の受容」があらためて見直されようとしています。しかし、現在この言葉に抵抗があるのは、田島氏の調査をみても明らかです。
一方では、「障害受容の誤用・悪用」とされるのと同じ考え方が実は、「意欲がない」・「病識がない」という言葉で今も使われていると、同特集の多くの論者が指摘しています。
確かに、「意欲低下」・「病識低下」のネガティブな使い方なら私もよく聞きます。
なお、本特集の中で、言語聴覚士(ST)の関 啓子氏が自身の心房細動・脳塞栓症・片麻痺・失語症・高次脳機能障害を語っています。自身が専門的に研究してきた病態を自身が患った体験談です。機会があればぜひ読んでください。とくに医療関係者への指摘は一読に値します。医師・看護師・臨床検査技師・リハビリテーションセラピスト・ケアワーカーそれぞれに、ときに厳しく、ときに優しく語りかけています。
セラピストには次の4つを願っています。
① 患者の目標を丁寧に聞き取る。
② 楽しくリハビリテーションに励む。
③ 思い込みによる判断で決めつけない。
④ 成功時には褒める。