霊性の探究、悟りの冒険

茨城キリスト教大学教授(のち名誉教授)鈴木研二先生の遺稿集3冊を年末に奥様から贈っていただきました(図上)。

1冊目はハードカバー(200頁)の「霊感-知覚の拡張と深化 霊性の研究I」。2012年に脱稿されていましたが、没後2年経った昨年11月に刊行されました(風神舎)。全国の昔話を取り上げて専門の深層心理学から霊感・霊界を説き、霊性を探究した内容です。例えば、昔話によく出てくる「橋」は2つの世界をつなぐ通路を象徴すると言います。2つの世界とは、向う岸とこっち岸、彼岸と此岸、あの世とこの世、夢と現実、無意識と意識、変性意識状態(ASC)と日常的意識状態(OSC)、沈黙の知と世俗の知です。こうした2つの世界の間には川以外に蓋・線・壁であったりします。その橋渡しが霊感であり深層心理学である、というのです。
2冊目は「生と死の間(あわい)」。35頁の小冊子です。「はじめに」で前立腺がんステージ4であることを告白したあと、日本の昔話「聴耳頭巾」を素材にして霊界を論じ、生と死との間にある不思議な壁を語っています。「死んだり死にかかったりすることは、愉快なことではないが、OSCが退縮するという点で、私の霊的な意識にとっては有利な情況なのである」と記されています。
3冊目は詩集「るぅ」(47頁)。「るぅ」とは赤い自転車(ルージュ)、流、「カンガルーのルーおばさん」という絵本からのルーの意味があると奥様からお聞きしました。詩集の著者は鈴木研二ではなく海野研六のお名前でした。鈴木先生が30歳代半ばに書かれた小説「地球に棲む日」(第16回新潮新人賞最終候補作、1984)のペンネームは海野研六でした。文芸活動ではこのお名前を使われていたようです。ペンネームの由来は分かりませんが、後述の「悟りの冒険」で「海の心」が強調されています(122-125頁)。関係があるのかもしれません。
病気の進行で論文の執筆ができなくなってから詩を書くようになったそうです。詩集に「人生、70年」がありました。亡くなる2ヶ月ほど前の作品です。

鈴木先生は1949年2月の生まれ。私と同学年です。同じ年に同じ大学に入り、同じ教養学部のキャンパスで学びました。1968-69年の大学紛争・ストライキも同時期、同じ場所で同じ体験をしました。その後の道は分かれました。1969年に北海道を無銭放浪したのち、1974年大学院修士課程を修了(教育心理学専攻)、1976年から茨城キリスト教大学に勤務されていました。残念ながら2019年11月26日70歳で亡くなられました。

2019.10.1
人生、70年

楽しかっただけじゃない
苦、とも違う
いろいろだ、いろいろ
でも–––––面白かった
まだやってるし

またやりたいか?
退屈すれば、ね
するだろうな
研究者いいな
ずっと研究者がいい

生きて 生きて 死ぬ
これが基本だから
しるふ*にのる
えい、やっ、と
あとは流れが
運んでくれる

シャバの連中は
有るものに愛着してる
次は逆に
こころに執着するのか
淋しいから さらさらとは流れない

流れと仲よくなれば
いつもそこにあるのに

*永井註:「しるふ」は、別の詩の註によれば、奄美諸島の昔話「魚女房」に出てくる流動性の宝物とのことです。

「霊感-知覚の拡張と深化 霊性の研究I」の表紙には牛と太陽の絵が描かれています。その意味は鈴木先生が1990年に発刊された「悟りの冒険」(創元社)にヒントがあります(126頁「十牛図」、174頁「形のない太陽」)。

その「悟りの冒険」を少し紹介します(図下)。副題は「深層心理学と東洋思想」。
スイスに留学してユング心理学を学び、東洋思想(老荘・釈迦・禅宗・臨済・親鸞など)も踏まえて「悟り」を探究しています。
悟りの出発点は<死>であると言います。<死>とは死そのものではなく、「人間が未知の死に投影する最大級の不安や怖れを含んだ心理状態」と定義づけられています。「悟りとは死の克服ではない。悟ろうが悟るまいが、人間がいつか死ぬことには変わりない。悟りとは<死>の、特にその不安と怖れの克服、あるいは超越なのである」。
意識と意識外とを隔てる<線>(壁)を超越する過程が悟りの道であるとも言います。悟りの段階が進むにつれ意識と意識外とを隔てる<線>は点滅し、やがて消滅します。<線>を超越する旅は確かに冒険です。
鈴木先生は悟りに段階をつけました。I野人(胎児に相当)、II初期人(子どもに相当)、一般のオトナはIII俗人。悟りが深化するにつれIV大人(たいじん)、V神人、VI聖人、VII還相(げんそう)となります(表)。このVIIまでは従来の思想とくに東洋思想で把握される概念です。しかし鈴木先生はさらに超越したVIII至人を提言しています。
「人間の、そして人類全体の意識の進化とは、表中の矢印に沿っての動きとして要約できる。I野人(胎児)はエデンの園に遊ぶ人間以前の人間である。VIII至人に到達した者はエデンの園の主宰者にもなるだろう。現世を生きる人間は、しかしそのどちらでもなく、四角で囲まれた枠の中のどれかの段階を生きる者なのである。–––––これが人間の定義なのではないかと私は考えている」。

鈴木研二先生は、心理学者として最後まで深層心理を研究され、カウンセリングでは「蓋の下の無意識」に目を向けさせて多くの心を救い、<死>と向き合う悟りを自ら実践されました。「茨城いのちの電話」にも関わっておられました。
心からの敬意と哀悼の意を表します。

御恵贈いただいた3冊は非売品ですが、「悟りの冒険」は注文可能です。キンドル版もあります。興味のある方は御一読ください。