ドイツ車のメルツェーデス・ベンツのことを日本ではベンツと呼びます。私が留学していた西ドイツでは1語で言うときメルツェーデスが一般的でした。
しかし私にはベンツでした。憧れのベンツでした。西ドイツに着いてまもなく中古車を入手しました。それが黄色のベンツでした。色は、黄色を意味するドイツ語のゲルプ(gelb)ではなくミモーゼン・ゲルプ(mimosengelb、ミモザの黄色)と紹介されました。色の名前も気に入りました。
仕事の合間を見つけてはドライブを楽しみました。長期休暇をとって家族と一緒にヨーロッパ中をドライブしました。スイス、オーストリア、イタリア、ルクセンブルク、ベルギー、オランダ、フランスを回りました。ドーバー海峡をフェリーで渡りイギリスにも乗り込みました。
一番の思い出は、東ドイツと東ベルリンへの車の旅です。東西冷戦の真っ只中でした。
東ベルリン見物を終えて西ベルリンに帰るとき、また、東ドイツから西ドイツに戻るとき、トランクを開けさせられ、車体の下を鏡でチェックされ、ガソリンタンクに棒を突っ込まれて人が隠れていないかチェックされました。威圧的な東ドイツ兵の態度に私も家族も体がこわばりました。
そこまでしてなぜ「東」を見に行ったのか。西ドイツの人たちから問われました。「せっかくの機会だから」という説明をしようとしましたが、うまくできませんでした。「怖いもの見たさだった」と言えば分かってもらえたかもしれません。
黄色のベンツは東ドイツ領内でも東ベルリン市内でも目立ちました。東側の庶民の冷たい視線を感じました。当時の東ドイツ人が乗っていたのはトラバント(愛称トラビ)という軽自動車のような、おもちゃのような、くすんだ色の車でした。私に優越感があったのは間違いありません。
日本に帰国するとき黄色のベンツを持っていくか悩みました。輸送費用が馬鹿にならないこと、日本の狭い道路には無理があることから、断念しました。
その後ヨーロッパは激変しました。冷戦真っ只中だと思ったのが実は冷戦末期でした。ベルリンの壁の崩壊、東西ドイツの統一(ドイツ再統一)、ソ連の解体、ワルシャワ条約機構の消滅、ロシア連邦の成立、北太平洋条約機構(NATO)の拡大、プーチンの台頭、新冷戦時代へと目まぐるしく進んでいったのです。