先日、非常勤の茨城の病院で採血を受けました。
12年にわたり私の主治医を務める呼吸器内科の医師からのオーダーでした。
気管支喘息は落ち着いています。定期的な検査です。
外来患者が少なくなるのを見計らって、採血室に入りました。呼ばれて氏名と生年月日を伝え、左腕を出しました。
担当の女性看護師はスピッツを揃え採血針の用意をしながら声をかけてきました。
「私、先生が看護学校の校長をされていたときの卒業生です。」
「へえ、そうなの。何年前の卒業?」
「5年前です。私たちの卒業式のあと先生は校長先生を辞めたんですよ。」
「そうだったか。」
「私、答辞を読んだんです。泣きながら。」
「・・・。この病院に務めてくれたんだ。今は検査室の配属?」
「子どもを産んで8月から復帰したばかりなんです。」
自分の高校や大学の卒業式を思い出しても涙の記憶はまったくありません。しかし、看護専門学校の校長を務めた8年間、卒業式では実に多くの涙を見てきました。
学校には3つの学科(助産学科、2年課程、3年課程)がありました。答辞は、3年ごとに3つの学科の最優秀学生が卒業生を代表して読むことになっています。今年は助産学科の代表者が読めば、来年は2年課程、再来年は3年課程という具合です。その看護師が卒業したときは3年課程の番だったのだと思われます。具体的に彼女の答辞を覚えているわけではありません。それでも、各学科の代表者はそれぞれ特徴のある答辞を読んでいたことは覚えています。
助産学科は分娩介助の大変さと喜び、2年課程は准看護師から(正)看護師になることの苦労と頑張り、3年課程は初めての医療経験の戸惑いと新鮮さ、など自分の体験を踏まえて切々と読み上げていました。校長として壇上に立ち、答辞を聴きながら涙を禁じ得なかったことが少なくありません。
何度か立ち会った医科・医療系大学の卒業式では、このような光景はあまり見ません。看護学校特有のことなのかもしれません。
血を抜かれながら、この看護師さんの5年間を考えてみました。卒業、就職、病棟勤務、夜勤、そして結婚、出産、育児、職場復帰。色々あっただろうと想像できます。実際の出来事は、その想像とはおよそ次元の違うものだったはずです。5年でここまでの成長があったという事実に素直に感動しました。
翻って、自分にとってこの5年はどうだったか。
若いときの5年とはずいぶん違いますが、私は私なりに精一杯生きてきたように思います。さて、次の5年をどうするか。採血の跡をしばらく見つめていました。結論は、やるしかない、です。