80年前、12月8日未明(日本時間)の真珠湾攻撃から太平洋戦争が始まりました。初戦の歓喜から終戦の悲惨まで3年半余でした。
昨日、マスメディアは多くの企画を組み、誰がなぜ無謀な戦争を始めたのか、なぜそれを防げなかったのか、を論じていました。
日本の今の超高齢社会の源は太平洋戦争と敗戦にあります(2019/8/19ブログ参照)。私自身が属する団塊の世代は敗戦によって生まれたからです。戦争の始まりを解くことは意義があります。
昨夜のNHK BSスペシャル「昭和の選択」を見ながら考えてみました。番組によれば、戦争を回避する分岐点が6つあったとのこと。分岐のたびに開戦か戦争回避(=「臥薪嘗胆」)かで揺れ動いた結果、「臥薪嘗胆」はあり得ず「やるなら今しかない」という結論になったとのことです。
この番組の論者の多くは「『臥薪嘗胆』が正解だった」と主張していました。果たしてそうでしょうか。
歴史にifはありません。何が正解かは分かりません。
が、戦争回避によって戦前の体制がそのまま継続した場合のことをどう考えるかは大切な視点です。
戦前体制の継続がよかったのか、300万人の犠牲はやむを得なかったのか。
究極の問いです。
私は、わずかな期間の分岐点は大きな意味を持たないように思いました。もっと長く歴史の大きな流れの中で考える必要があるように思いました。それを現在に敷衍させると、100年単位の大局的な「日々の判断」の大切さに結局は行き着くように思えてなりません。