前任地でのことです。
「3.11」は9年前の3月11日でした。その前日、3月10日のことをお話しします。
その日の朝、ある地方病院の院長予定者から私に電話が入りました。
「昼に自分のところに寄っていただけないか。」
いいですよ、と返事をしました。
昼、車で会いに行きました。
内容は、半分恐れていたこと、半分予想していたことでもありました。
「4月からの院長をお断りしたい。」
周りの人たちと話し合って考え直した、とのことでした。
半分予想していたからだと思います。すぐに返事をしました。
「気にしないでください。何とかなります。」
その病院は地方都市とは言え、僻地に近いところにありました。たまたま私は地域の人々の強い願いを知る立場にありましたので、地域中核病院のトップとしてその人を推薦しました。医の心と強い意志を持ち、リーダーシップを発揮できる人材だったからです。仲介役となって話を持っていくと、快く引き受けてくださいました。一方では、こうした地方病院で申し訳ないという気持ちが少し私にありました。だから「半分予想していた」のです。
「気にしないでください。」
もう一度そう言って笑顔で別れました。
部屋を出たあと、歩きながら考えました。
「何とかなります」とは言っても、あと3週間しかない。
自分がやるしかないか・・・。
その日の午後は、県議会の委員会に出席することになっていました。移動の途中、病院から電話がありました。緊急手術を手伝って欲しいという後輩からの連絡でした。委員会を途中退席して病院に戻るよ、と伝えました。
委員会では、県立病院の経営が議論になっていました。
昼の興奮が余韻として残る中、ある議員の質問をじっと聞いていました。
「・・・民間病院では看護師の給与は45歳になるとほとんど上がりません。ところが、県立病院では限りなく上がっていきます。事務職なら頭を使うからいいいと思いますが、看護師さんにはたいへん申し訳ないけれども、体を使う商売・・・」。
ここで頭に血が登りました。机を思わず叩いてしまいました。
「違います。とんでもない誤解です。」
委員会では、必ず挙手をして委員長が指名して初めて発言が許されます。その慣例を無視して不規則発言をしてしまいました。
質問者は動じることなく、質問を続けました。
「病院の経営の面では、県職員よりも民間に近づけたほうがよろしいかと思いますが、いかがでしょうか。」
私は手を挙げて答えました。
一つの意見として承っておくこと、しかし、看護師の年齢が45歳を超えると昇給がないのは異常であること、民間はそれでも何とかやりくりしていること、そもそも診療報酬という国家統制の最低価格で病院の収入を得なければならない仕組みが病院経営にはあること、公立病院は政策医療を担っているために民間と同じようにはできないこと、などを説明し「ご理解をいただきたい」と述べました。
最後に、暴言を吐いたことをお詫びしたうえでこう付け加えました。
「看護師は頭を使わない、体だというのは大変な誤解ですので、ぜひ改めていただきたいと思います。時間がありませんので、これで失礼します。」
昂然と席を立って病院に向かいました。
緊急手術を無事終え、自室で残務整理をしていた夜8時、ドアのノックが聞こえました。
入って来たのは、昼に会った人でした。
「実は・・・。」
しばらく沈黙がありました。
「もう一度考え直して、4月からの院長をやはり引き受けます。」
「無理しなくていいですよ。」
そう答えたものの、嬉しさがこみ上げて来ました。
そのあと、医療のこと、地域のこと、教育のこと、将来のこと、医師のあるべき姿、実に多くのことを2人で話しました。気づくと、まもなく午前0時になるところでした。握手して別れました。
そして、運命の日、3月11日を迎えました。